東京五輪のOA枠。西川周作が監督なら「使います。ポジションは...」 (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

「(W杯メンバー発表会見は)自宅のテレビで見ていたんですが、それまでの代表での自分のポジションとか考えると、(自分は)いけるかな、と思っていました。でも、落選して......。やっぱり、悔しい思いはありました。

 ただ、岡田監督の選考理由を聞いて、『そういうことなんだ』と理解はしましたね。だからといって、悔しい思いが消えることはなく、『このままじゃ、終われない』『4年後、今度こそは自分がW杯に出るぞ』と、強く決意しました」

"北京経由、南アフリカ行"は、実現しなかった。それでも4年後、西川は2014年ブラジルW杯で、代表のメンバー入りを果たした。試合出場は叶わなかったが、W杯の雰囲気を肌で感じ、五輪とは違う世界を経験できた。

 その間、Jリーグにおいては、大分からサンフレッチェ広島、広島から浦和と移籍を遂げて、GKとして順調なステップを踏んでいた。今、改めて振り返ってみて、西川のサッカー人生において、五輪とはどんな舞台だったのだろうか。

「選手として成長するため、そしてW杯を目指すための、ひとつの通過点となる大会ですね。僕は、五輪を経験するのと、しないのとでは、(自らの)成長するスピードが違ってくると思います。

 その年代で、何が足りないのか、自分は世界で通用するのかといった、日本(国内の試合だけ)では見えないものが見えてきますから。選手をいろいろな意味で成長させてくれる大会なので、東京五輪を目指す選手は、厳しい競争を勝ち抜いて、あの独特の世界を経験してほしいな、と思います」

 東京五輪を目指すU-23日本代表は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあって、チーム作りは一時中断。まだまだ完成途上の段階にある。

 そのチームを指揮するのは、森保一監督である。西川が広島時代、一緒に戦って、ともに優勝という喜びを分かち合った指揮官だ。そんな森保監督が作るチームを、西川はどう見ているのだろうか。

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