アテネ五輪代表メンバーから落選。その時、鈴木啓太は何を思ったか

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第10回
アテネ五輪に出場できなかった主将の胸中~鈴木啓太(3)

アテネ五輪の代表メンバーから落選した時の心境を語ってくれた鈴木啓太アテネ五輪の代表メンバーから落選した時の心境を語ってくれた鈴木啓太 アテネ五輪アジア最終予選を突破し、日本はアテネ五輪の出場権を獲得した。鈴木啓太はキャプテンとして、大きな仕事をひとつやり終えたことに安堵していた。

「やっぱり(連続出場中の)五輪への扉を閉ざすわけにはいかないし、(監督の山本)昌邦さんは『アテネ経由ドイツ行き』とずっと言っていた。アテネ五輪に出場しないことには、それも始まらない。これは、自分たちの将来を賭けた戦いだったんです」

 だが、鈴木がある意味、彼自身の"本当の戦い"に置かれたのは、出場権を獲得したあとだった。

 五輪には、最終予選で貢献した選手全員が行けるわけではない。そもそも登録メンバーが18名と少なく、本番では23歳以上の選手を3人登録することができるオーバーエイジ枠もある。五輪に行く18名のメンバーに生き残ることは容易なことではなかった。

 最終的な登録メンバーを決める前に、沖縄合宿が行なわれた。そこで、鈴木は山本監督の自分に対する接し方が、最終予選の時とは異なることに違和感を覚えていた。

「最終予選の時は、僕に(山本監督が)とくに話をしてくることがなかったんです。それは、僕に対する信頼の証だと思っていたんですよ。でも、沖縄ではやたらと話かけてくるんです。『なんか変だなぁ』って思っていたら、(同時に)試合でもスタメン出場がなくなった。『これはもしかすると(自分は)アテネに行けないかも』って思いました」

 アテネ五輪のメンバー発表の日、鈴木は所属する浦和レッズのスタッフ、選手らとランチに出かけた。その際、不安が募り、注文したパスタがなかなか喉を通らなかった。

 クラブハウスに戻って程なくすると、田中マルクス闘莉王と田中達也だけが会見に呼ばれた。鈴木はアテネ五輪のメンバーから漏れたのである。

「ほんと、悔しかったですね。アテネ五輪に行けないことが、すごく恥ずかしかった。自分は絶対的な選手じゃなくて、19番目の選手だった......」

 涙は出なかった。

 自分の代わりに入った選手とは、どう転んでも敵わない差があったからだ。

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