播戸竜二は言う。20年前の日本代表には「トルシエ監督が合っていた」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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 レギュラー組に対して、何かあっても「俺たちが常に控えているからな」という安心感を与えつつ、同時に「気を抜くなよ」というプレッシャーもかける――播戸たち"控え組"は、絶妙なバランスの空気感をチームに漂わせていたのだ。

 さらに、チームがいい緊張感を保って戦うことができたのは、「トルシエ監督の存在が大きかった」と播戸は言う。

 もちろん、当初は戸惑うことが多かった。

「最初こそ、(トルシエ監督は)19歳、20歳の若いヤツらになめられたらあかんと思ってか、自分の感情をガッと表に出して、俺らの鼻をポキッと折るぐらいの激しさで(選手たちに)対応してきた。練習でも急に怒鳴り散らしたりしたからね」

 ブルキナファソ遠征の際には、トルシエ監督は「おまえら、プロとして戦うんだったら、アフリカでもどこでも、現地のモノを食って戦うんだ」と厳命して、現地の硬い鶏肉などを選手に食べさせたり、選手が持参してきたサプリメントを「こんなもん食べているから、日本はダメなんだ」と叫んで、バラまいたりした。

「(そういうトルシエ監督の言動や行動に対して)何やねんって思ったこともあったよ。でもみんな、そういう行動パターンも徐々にわかってきたからね。普段は冗談とかも言うんで、悪い人じゃないっていうのは感じていた。

 俺は、トルシエ監督はあの時代に合った『ええ監督やった』と思う。トルシエ監督はよく『歴史を作らなければいけない』『おまえらには才能がある。だから、2000年シドニー五輪、2002年W杯を目指してがんばれ。そうしたら(代表メンバーとして)連れていくから』と言っていた。そういう可能性を監督から言われると、選手はその気になるやん。

 それに、練習で決められたことをするのは当然やけど、それを飛び越えるぐらいのことをやらないと、『プロとして成功しないぞ』っていう雰囲気を(トルシエ監督は)作っていた。俺らが若かった、というのもあるけど、トルシエ監督にうまいこと育てられたな、って感じがする」

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