28年ぶりの快挙に沸く日本。前園真聖はアトランタ五輪で何を学んだか

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第8回
マイアミの奇跡に隠されたエースの苦悩~前園真聖(2)

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 アトランタ五輪の初戦、優勝候補のブラジルを下した「マイアミの奇跡」によって、日本中が沸いた。また、初戦をモノにしたことで、残りのナイジェリア戦、ハンガリー戦への対策も講じやすくなり、決勝トーナメント進出への期待が膨らんでいた。

 GK川口能活ら守備陣は、ブラジルの猛攻を最後まで耐え抜いて、かなりの手応えを感じていた。

 だが一方で、前園真聖、城彰二、中田英寿ら攻撃陣は、ストレスを感じていた。勝つことはもちろん大事だが、攻撃が二の次になっていたことで、世界を相手に自分たちがどれだけやれるのか、サッカー選手としての力を推し量ることができなかったからだ。

 各メディアが"奇跡の勝利"の要因について、キャプテンである前園の言葉を欲していた。しかし、彼は逆に言葉を遮断した。

 ガチンコ勝負をさせてもらえなかったブラジル戦の勝利に、今ひとつ納得がいかなかった。そうした不満やストレスを抱えている状況で、外に向かって何かしら言葉を発すれば、誤解を招くようなことを言ってしまうかもしれない。もしそうなったら、チーム内に混乱が起こる――ならば、自らは口を閉ざして、余計なことは言わないほうがいいと思った。

「あのときは、メディア対応のやり方も、嫌だったんですよ」

 当時のことを思い出して、前園はそう言って表情を歪めた。

 アトランタ五輪の頃は、現在のようにミックスゾーンといった場がなく、練習後の取材は、練習場からバスに乗るまでの間に行なわれた。選手たちは歩きながら、各メディアの取材に応じていた。

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