「南アW杯のゴールを守れない悔しさ」が、今も川口能活のエネルギーに (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 若い頃は、高みを目指すがゆえ、沸き上がる感情を抑え切れずに周囲と頻繁に衝突し、まるで尖ったナイフのような存在だった。それが、数々の修羅場を経験し、海外でもプレーすることによって角が取れて、チーム全体を俯瞰できる存在になった。

 岡田監督が川口を抜擢した理由は、そうした人間力にあったような気がする。その気持ちの強さを知り、どんな状況にあっても耐えてリードしてくれると思ったからこそ、チームキャプテンに指名したのだろう。

 川口は、2010年南アフリカW杯において、日本代表にとって替えのきかない不可欠な存在だったのだ。2002年日韓共催W杯でチームのまとめ役を果たした中山雅史や秋田豊のように、である。いや、大会直前のチームの不穏なムードを考えれば、それ以上の存在だったかもしれない。

「日本がW杯に出場できるようになって、これまで歴史を重ねてきましたが、やっぱり大事だなと思うのは、チームに影響を与える選手がいるかどうか、だと思うんです。選手としてのプライドを持って、チームのために犠牲になれる選手。そういう選手がチームにいることが、日本代表が(W杯で)勝つための重要なポイントだと思います。それは、これからも変わらないと思います」

 南アフリカW杯では、その"特命"を川口が引き受けた。それは、ケガでリーグ戦に出場していない、という負い目もあったからだろう。そこに付け入る岡田監督は、ある種の"策士"であったと思う。

 そういう意味では、川口が所属のジュビロで万全な状態でプレーしていたら、どうなっていただろうか。"第3GK""チームキャプテン"と言われて招集された場合、南アフリカに行っただろうか。

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