エースの座からサブへ。傷心の
中村俊輔を救った川口能活の存在 (4ページ目)
「(2004年の)アジアカップのときかな......、マツさん(松田直樹)が(試合に出ている選手に)タオルを絞って渡したりして、そういうのを見ていたんで、わりとサブとしてやるべきことは理解していた。マツさんを見ていなかったら、きっと何をしていいのかわからなくて、ストレスだけを抱えていたと思う」
中村はどんなにつらくても、チームに反する態度だけは見せないようにした。大会を勝ち抜くには、自分たちのようなサブの選手の熱いサポートこそが大事――それは2002年、トルシエジャパンの映像からも垣間見ることができたし、ドイツW杯のときに実際に肌で感じて学んだことでもある。
中村は、犠牲心を持ってチームを支える覚悟を決めた。
南アフリカW杯では、サポート役に徹していた中村俊輔 W杯初戦のカメルーン戦の前には、中村たちサブ組は紅白戦で"仮想カメルーン"になって、レギュラーチームの相手になった。本気になってカメルーン選手の役を務め、「レギュラーの選手にもっとやらないといけない」と思わせるようなプレーをした。
自分のポジションに入った松井に対しては、「憎いとか、そんな感情は一切なかった」という。逆に、カメルーン戦での給水時に声をかけた。
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