エースの座からサブへ。傷心の中村俊輔を救った川口能活の存在 (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 最初の頃は、悔しすぎて夜も眠れなかったという。

 中村が座る食事のテーブルには、楢崎、中澤、田中マルクス闘莉王、川口能活らが一緒に座っていた。

 川口は岡田監督から「第3GKで、チームのまとめ役として来てくれ」と言われ、考え抜いた末にメンバー入りを決断した。中村は、その役割を引き受けた川口を尊敬し、信頼していた。ベスト16入りした2002年W杯の、中山雅史や秋田豊の役割を果たすであろうことを、十分に承知していた。

 中村と一緒にテーブルにつく面々も、いろいろなことをグッと自らの胸に押し込めながら、自分たちに課せられた"戦い"と闘っていた。

「能活さんがいて、ボンバーがいて、ナラさん(楢崎)がいた。半端ないストレスを抱えるなか、特に大きかったのは能活さんの存在だった。

 能活さんは日本のために自分自身の身を削っていた。(自分は)ろうそくとなって、他人を明るく照らそうとした。犠牲心を持ってやれるか、という部分でお手本になってくれた。ほんと、助けられた」

 いよいよW杯が開幕。これから試合が続いていく。

 2006年ドイツW杯では、サブがまとまらず、初戦の敗戦をきっかけにしてチームが崩壊してしまった。中村は今回、そのサブに自分が置かれた。選手としてどう役割を果たすべきか、毎日考えていたという。

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