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日本が初出場したW杯。帰国した
城彰二を襲った「あの事件」に迫る (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 2戦目のクロアチア戦は重要な試合だった。負ければ、グループリーグ敗退が決定する。

 日本は中盤で主導権を握って果敢に攻めた。だが、クロアチアのエースストライカー、ダヴォル・スーケルの1発に沈んだ。アルゼンチン戦に続く、0-1の敗戦。立て続けに僅差で敗れたことによって、ショックは倍増した。

 無論、選手たちもそうだが、予想以上に大きなショックを受けていたのは、日本のファンであり、メディアだった。

「なんで勝てないんだ」
「なんで点が取れないんだ」
「カズの代わりの城は何をやっているんだ」

 W杯という大会のレベルや、W杯出場国の本当の力を知らない人たちが騒ぎ始めた。そして、2試合ノーゴールの"エース"が「日本敗戦の原因だ」と、批判の矛先を城に向けた。日本国内はある意味、ヒステリックな状況になりつつあったのである。

(つづく)

城彰二(じょう・しょうじ)
1975年6月17日生まれ。北海道出身。鹿児島実高→ジェフユナイテッド市原→横浜マリノス→バリャドリード(スペイン)→横浜F・マリノス→ヴィッセル神戸→横浜FC。日本代表では日本初のW杯出場に貢献。1998年フランスW杯に「エース」として出場した。

◆第1回>12年前に中東の地で、 なぜ福西崇史は中田英寿と言い争ったのか

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