12年前に中東の地で、なぜ福西崇史は中田英寿と言い争ったのか (2ページ目)
そのまま練習が中断。ふたりはピッチ上でお互いの主張を激しくぶつけ合い、周囲の緊張状態は一気に高まった――。
当時の日本代表では、練習中に意見をぶつけ合うシーンはよく見られたが...。photo by REUTERS/AFLO
「あのときのことは、よく覚えているよ」
福西はそう振り返る。12年前のことだが、つい昨日のことのように、そのときの記憶が鮮明に残っているという。
「俺の前にいたヒデ(中田英寿)は、ミドルサードの真ん中でボールを奪って速く攻めたい、という考えだった。ヒデはイタリアでそうやって生きてきたのだろうし、そのやり方自体は正しいと思う。ヒデに言われて前にいった加地も、いかないと相手に2対1の状況を作られてしまうので問題ない。もし3バックなら、慣れているし、後ろにリベロのツネ(宮本恒靖)がいるので、(自分も)前に出てボールを取りにいく。自分も本来は、前で取りたいと思っているからね。
でも、(あのときは変更したばかりで)慣れていない4バック。あそこは(相手の攻撃を)遅らせるだけでいい。ボールを取るなら、ディフェンスゾーンとミドルサードの間ぐらいかな、と(自分は)思っていた。ヒデに『来いよ』って言われて(自分も)取りにいって(相手に)かわされて突破されたら、非常に危険。
それに、(もう1枚の)ボランチであるシンジ(小野伸二)は攻撃的で少し前目のポジションだったので、俺が前にボールを取りにいくと、中央のスペースが空いてしまう。そのスペースで、相手にボールを収められてしまうと『怖いな』って思っていた。だから、まず守備のことを考えて、自分がステイしたほうがいいと考えていた」
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