ザッケローニの言う「インテンシティ」とは何だったのか (2ページ目)
言い換えれば、インテンシティ(強度、激しさ)がなければ、スピードも、テクニックも、組織力でさえも試合の中では無意味だ。日本らしさを出すにも、プレイインテンシティが条件だった。早い話が、その強さ、激しさが足りない選手、もしくはそれに堪えられない選手は、たとえ日本人らしい選手であっても、チームの戦闘力を下げてしまう。
2010年南アフリカW杯の岡田武史監督は、それが分かっていたからこそ、アンカーを置いた守備的布陣を組んだのだろう。
「ボールを回して勝つ」
その題目は美しい。しかし、そうして人材を絞れるほどに日本はまだ強くはなかった。
例えばフォルタレーザで行なわれたドイツ対ガーナ戦。どちらもインテンシティで負けていない。重心の強い当たりを食らわせ、長い足でぎりぎりのタックルを見舞う。その上で彼らは自分たちの持ち味を出し、両者は引き分けた。おまけに終了間際のFKでは二人の選手が交錯し、一人は顔から流血し、もう一人も痛みで肩を動かせず倒れたままだった。
日本はコロンビアを相手に攻めていた。しかし勝負を左右する場面では、優位に立つことができなかった。ハイクロスは簡単にはじき返され、カウンターを何度も受けた。ディフェンダーは1対1で置き去りにされ、ついていくのもやっとだった。
「日本がフィジカルを生かした戦いを挑んでくるのは分かっていたから、それをいなせば良かった」
これはコロンビア選手の弁である。大人と子供だった。
自分たちのスタイル。それは、戦い終わった後に周りの人が論じるべきことではないのか。
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