あの日、齋藤学の冬のドイツ移籍になぜ反対したのか (2ページ目)
そもそも自分は異端だ。例えばミックスゾーンでの記者は一人の選手を複数で取材する"囲み"が定石だが、僕は基本的にそこに参加しない。"一対一で選手と対話することで独自の物語を書く"という信条がある。無論、そのためには厚い信頼関係を築く必要があるが、それは望むところである。
もっとも、ライターと選手は"仲良し"であってはならない。
「コミヤさんじゃなかったら、ぶん殴っている」。某選手に苦笑されたほど、僕はプレイに関しては直言する。それで嫌われてしまう程度なら、縁がなかったと割り切る。僕は彼らと対等に話すためにスペイン、バルセロナへ渡った。欧州の最前線で5年間取材活動をすることで、批評するための"拠り所"を得たつもりだ。
全力で自分の問いをぶつけ、それに選手が答えてくれるか――。真剣で打ち込むような勝負からしか、人の心を動かす話は生まれてこない。そして多くの場合、優れたアスリートは寛大な心を持ち、誠実な意見に耳を傾ける度量を持っているものだ。
しかしどこまで選手とコミットするべきなのか。
2014年12月、日本代表で横浜F・マリノスに所属する齋藤学がドイツ、ボルフスブルクへの移籍で迷っていたときだった。僕は、「今は行くべきではない。リスクが高く、過去にも多くのJリーガーが夏の移籍では成功し、冬の移籍で苦しんでいる」と諫(いさ)めた。
冬の移籍は悪条件が多い。まずJリーグは3~12月がシーズンで、欧州リーグの8~5月に参戦するには、長い戦いが終わった後で肉体的負担は相当だ。また、クラブは冬の補強は緊急手当の場合が多く、チーム状態がそもそも悪い上、中長期のビジョンもない。さらにプレシーズンを一緒に過ごせないため連係面は不安で......。
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