豊田陽平は代表候補合宿で好感触を得ていた (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLOSPORTS

彼は好感触を得ていた。

「代表の中盤はアオ(青山敏弘)と組んだんですが、びっくりするほど精度の高いパスがきました。アオには『(アバウトでも)強さを生かせるボールがもっと欲しかった?』と聞かれましたが、いい状態のときに最高のパスを出す、というのは一つの価値観。記者の方には『ボールが出てきませんが?』と聞かれましたが、それは違う。アオはタイミングを図っているから本数は少ないけど、意思疎通はできていました。鳥栖ではどちらかというと五分五分の状態でボールが来て、そこで勝って自分は鍛えられ、評価されるようになった。どっちが正しいというわけではないんです」

 豊田は4月の合宿には、殺伐とした空気さえ出して臨んだ。2013年7月に行なわれた東アジア選手権は、「同じメンバーで一つの大会を戦うから」と積極的にコミュニケーションを図ったが、直前合宿は代表メンバーのふるい落としだった。「それぞれがどれだけアピールできるか。仲良しになる必要はない」と必要以上の会話はしなかった。彼は情に流されない。

 ホテルでは選手に個室が与えられ、「代表はこんなに豪華な部屋に泊まれるんだ」と独りごちた。朝食は7時半頃で各自自由、昼食は全員が揃ってとることが義務だった。午後の練習をしてから19時半頃に夕食を共にとり、23時に就寝。それ以外は一人で部屋にいる時間も多かったが、友人や家族とLINEをしながら過ごしつつ、彼は気力を充実させていた。

 ザッケローニ監督からは、『相手ラインを下げてくさびになる』『ゴール前に飛び込むこと』を厳命された。「左で作り、右で仕留める」というのが基本の攻撃戦術である限り、豊田はそれに従った。しかし実はこれだと、センターフォワードのゴールが生まれにくい。実際、ザッケローニ率いる代表では右に位置する岡崎の得点が多く、センターフォワードは潰れ役、もしくは起点になる。

「自分としては、一度ニアに入ってからファーに膨らんで点を取るパターンが多い。だから、“必ずニアいかなあかん”という葛藤はありました。そこはクラブだったら、徐々に時間をかけて自分の方に寄せる対話も図れるんですけどね。動き出しや駆け引きに自分のアレンジを入れるべきか迷いつつ、結局は自分の持ち味は封印しました」

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