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【日本代表】山田大記が明かすブラジルW杯への野望 (4ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

「父譲りなんですかね。子供の頃は父親に練習場まで送り迎えしてもらっていたんですけど、いつも前向きに励まされていたような気がします。ネガティブなことを言われた覚えがない。だから、自分も自然とポジティブにものを考えられるようになったのかもしれません。

 ジュビロのユースに昇格できなかった経験もそうですよ。

 静岡は高校選手権が人気なので、“部活も経験したい”くらいに思っていました。だから、周りの人が考えているほどショックはなかった。中3まで試合に出られていなかったわけですし、十分に納得できました。むしろ、大切に育ててもらったな、と感謝していましたね。大学時代に鹿島アントラーズから誘われながら、ジュビロに決めたのも地元の好きなクラブだったから。

 まあ、母や姉は『試合にも出させてもらえなかったのに』と、僕の進路決定に驚いていましたけど(笑)」

 サッカーを続けるか、辞めるか、と本気で頭を悩ませるようになったのは、大学に進んでからだという。そこから先は受け入れてくれるプロクラブがなければ、一般就職するしかない。ただ、それまでは“少しでもうまくなりたい”一心だったという。

 その純真さが、思いがけない幸運を呼び込んだ。

「中学の時に左足をケガして松葉杖だった時期、右足だけを使って移動していました。そうすると、復帰したときも右の筋力だけが強くなっていて、左は落ちているんですよね。だから右利きなのに、左足の踏み込みが弱くてボールが飛ばない。でも左足のキックは右足で強く踏み込めるんで、ぽーんと足を振るだけで強いボールが蹴れました。そのおかげで、今でも左で蹴れているんだと思います」

 まさにケガの功名か。

 大学4年のときには左足中足骨骨折で最後の大会を棒に振り、悔しい思いをしたが、プロ1年目には目覚ましい活躍を遂げた。プロ1年目の終盤には左下腿肉離れ、右足中足骨骨折と立て続けに試練に遭ったものの、プロ2年目は序盤戦で3試合連続得点するなど着実に成長の跡を見せている。

「当然ですけど、ケガはしたくないんですよ。ボールを触れず、もどかしい時間です。でもだからこそ、その経験も無駄にしたくないというか。貪欲なんです。ケガには必ずその原因があるし、自分の体のことやサッカーを真摯に見つめられる時間をもらったと思うようにしています」

 山田は打たれ強く、図太い。

 自分に対して起きた物事といかに向き合うか、その折りのふてぶてしいほど前向きな振る舞いが、彼のサッカー人生に僥倖(ぎょうこう)をもたらしている。

「本当の自分はプライドが高い、かなりの自信家だと思います」と山田は続ける。

「プロに入って10番をもらい、キャプテンマークを巻くようになったのも“目立ちたい”という気持ちが少なからずあるからです。ジュビロでは前田(遼一)さん、駒さん(駒野友一)が顔ですが、自分のことも“将来有望な選手”として見ていて欲しい。10番もキャプテンもプレッシャーではないんですよ。むしろ自分は、周りから信頼される選手になりたい、という欲求が強いんだと思います」
(続く)

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