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【ヤングなでしこ】
田中陽子という才能は、いかにして育ってきたのか? (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko
  • photo by Hayakusa Noriko


 当時、こう語った田中は、真っ黒に日焼けした顔で、くったくなく笑っていた。毎日サッカーができる環境が楽しくて仕方がない様子は、多くを語らずとも容易に見て取れた。もちろん、楽しいことばかりではないが、海外遠征や、著名人による講義、コミュニケーションスキルの授業や高水準のフィジカルメニューの伝達など、JFAアカデミーでなければ得ることができない経験も数多くあった。田中の高い技術は間違いなく、ここで培(つちか)われたものだ。

 それでも、世界に出ていけば、同年代の大会であっても自らの未熟な部分と向き合わなくてはならなかった。2008年のU-17W杯ではベスト8で敗戦、2010年のU-17W杯では日本代表の全カテゴリーで初となる世界大会決勝に進出するも、延長PK戦の末、韓国に敗れ、涙の準優勝という結果に終わってしまった。

「本当に悔しかった。確かにゴールは決めていたけど、ショボいゴールもあったし(苦笑)、あそこで決めていれば勝てたっていうシュートもあった。自分のヘタさを痛感しました......」

 翌年にはひとつカテゴリーが上がった。U-19女子代表として、また新たな戦いが始まったのだ。藤田のぞみ、高木ひかりら前U-20女子代表を経験するメンバーと、田中、猶本光、横山久美といったU-17準優勝メンバーらの融合となった新生ヤングなでしこの誕生だった。

 予選を兼ねたAFC U-19アジア選手権では、ベトナムの高い湿度と暑さの中、全員サッカーで優勝を成し遂げた。もちろん、田中もトップ下を中心に、状況に寄って、ポジションを自在に変えながらゴールを決め、チャンスメイクでもその存在感を示した。

「まだチームとしても、始動してそんなに時間がたってないし、1試合1試合少しずつ成長してる感じ。もっともっとやれると思う」

 優勝はしたものの、まだまだ納得できるパフォーマンスではなかった。目指すサッカーに対してはどこまでも貪欲に立ち向かう田中だった。

 そんな田中が今季から挑戦の場として選んだのが、澤穂希、大野忍、川澄奈穂美ら7名のなでしこジャパンを擁するINAC神戸レオネッサだった。ただでさえ厳しいとされるINACのトレーニングで、日々なでしこジャパンの選手たちと張り合う。最初の試練は、入団してすぐさま行なわれたスペイン遠征だった。

「まだ慣れないんです(苦笑)。スピードも速いし、パスとかシュートとか本当に周りの人達のレベルが違いすぎる。でも大丈夫です! それを求めてきたので。やるしかないです!」

 しかし、現実は思いどおりには進まない。リーグ戦において出場機会はまだない。3月に行なわれた日韓女子リーグチャンピオンシップでは出場の機会を与えられたが、お披露目といった色合いも濃く、その後は6月のなでしこリーグカップの福岡J・アンクラス戦で公式戦初ゴールを挙げるも格下相手。主力が抜けているなかでの出場であり、自らの力で勝ち取ったポジションではない。そんな、なかなか出番がない中でも、田中はすべて覚悟のうえと現実をしっかりと受け止める。

 この時期に田中が取り組んでいたのはフィジカル改造だった。体幹メニューや筋トレに積極的に取り組んだ結果、相手に当たられても倒れない、身体の軸がブレないプレイへとつながった。今大会ではそれが顕著に現れている。

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