【プロ野球】「つらいと思ったことは一度もない」 元オリックス・福田周平が語るケガも競争も成長に変えてきた8年間の軌跡 (2ページ目)
── つまりは「今やるべきこと」を疎かにせず、追い求めて全力で駆け抜けた野球人生だったとも言えますね。
「もちろん"できなかったこと"もありましたし、環境に呑みこまれることもありましたが、基本は自分の成長を求めていくために野球をやっていましたね」
── そのなかで、プロで生き抜くためにこだわったものは?
「やはり、成長を求めること。それが楽しかったですから。できなかったことができた、見えなかったことが見えてきた、わからなかったことがわかった。そういう過程が一番楽しかった。正直、それが僕の生きている意味でもあると思っています」
【もっとヒットを打ちたかった】
── 福田さんは、野球選手としては決して恵まれた体ではなかった。それでも、プロの世界で戦うその姿は、たとえば野球をする少年少女に大きなメッセージを与えてくれたような気がします。
「体が小さくてもプロで戦える姿を見てみたい。そう思う自分もいました。『オレでもできるんや』という成功体験を増やしていきたかったところはありましたね。それが結果として、体が小さい子どもたちにも何か影響があればうれしいなと思いながらやっていました」
── ちなみに、屈強な選手が多いプロ野球で、実際に対戦して印象に残っている選手はいますか?
「とくに『この選手は!』というのはないですね。それぞれに迫力があって、すごいボールを投げるピッチャーばかりでしたから」
── オリックスのチームメイトのなかでは?
「本当にどの選手もすごいですよ。すごいですけど......あえて言うなら、山下舜平大ですね。球速もそうですが、球の伸びや威力がすごかった。彼はまだ若いですし、これからさらに楽しみなピッチャーですよね」
── そういった選手もたくさんいるなかで、福田さんが打者として求めていたものは?
「たとえば、ウエイトトレーニングをしすぎて、失敗した経験があります。なぜウエイトトレーニングをしたか。それは、その時の自分の体を信頼していなかったということですよね。自分のなかで、『体を大きくすればヒットの確率も上がるでしょ』という思いが見え隠れしていた証しでもあります
でも、本当はそうではなかった。結果的に現役生活の最後のほうになって、あらゆる動きができる体をつくることが大切だと気づいていきました。もっとヒットを打ちたかったですね。僕のなかで目指していたものは首位打者。そして、最多安打を記録したかったという思いはあります」
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