潮崎哲也が語る「魔球・シンカー」誕生の瞬間 カーブと反対の発想で投げてみたら人生が変わった (2ページ目)
潮崎の投手人生において、最大の武器となるシンカー。その原点は同じサイドスローの相手投手にあり、指導者や先輩に教わったわけでもない。真っすぐ、カーブ、スライダーに加え、独自に習得したものだった。まず、マウンドから見て、右に曲がる球を投げたい──。左に曲がる球がカーブだから、その反対をやろうと考えた。
「簡単な子どもの発想ですよ。カーブが左に曲がるんだったら、カーブと反対の握りをして、反対に投げたら、逆の軌道の球が出るだろうっていう発想ですね。で、僕のシンカーは手首をひねらない。カーブ自体もひねらないんですよ。
僕、真っすぐはそんなに速くなかったんですけど、カーブは器用に投げていたっていうか、曲がりが大きかった。初めて対戦する右バッターだったら、ちょっとよけてしまうようなカーブを投げられていたんです。だからカーブとまったく一緒の感覚でシンカー、反対に曲がる球を投げようって考えられたんだと思います」
【わずか2カ月でシンカーを習得】
質のいいカーブがあってシンカーを覚えやすかったのか、習得まで2カ月はかからなかったという。しかも、そのシンカーはいったん浮き上がり、シュート回転しながら落ちていく独特の軌道。ゆえに「魔球」と呼ばれることになるのだが、右バッターの場合、浮き上がるからカーブかと思えば、逆に体のほうに向かってくる。相当に厄介な球だろう。
「まあ、そうですよね。だから、それまで打たれていたカーブでも、シンカーを投げることによって打たれなくなったんです。スライダーにしても、カーブのちっちゃいヤツみたいな、別に大したことない球なのに打たれない。シンカーを投げ出したのは5月か6月かくらいなんですけど、そこからほとんど打たれなくなりました」
身近に測定機器がない時代で球速は定かではないが、真っすぐは「130キロ出るか出ないか」だったという。それでもシンカー、カーブとの緩急も使えて、二番手の扱いながら試合で打たれなくなった。「実質、おまえがエースだ」と監督から言われた3年夏の徳島大会。チームは決勝で池田高に敗れたものの、潮崎自身、勝ち上がりの原動力となった。
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