【長嶋茂雄が見たかった。】田淵幸一と藤田平の証言 巨人vs阪神、"伝統の一戦"での長嶋茂雄 (3ページ目)
【あの長嶋さんのいる巨人と戦うのか...】
阪神の名ショート、藤田平さん。「長嶋さんは、生きているような打球を放つバッターだった」
1965(昭和40)年に行なわれた第1回ドラフト会議で2位指名を受けて阪神タイガースに入団したのが藤田平だ。プロ2年目の1967(昭和42)年にショートのレギュラーになった彼は、プロの打球の速さに衝撃を受けた。
「右バッターでは、長嶋さんと江藤慎一さん(中日ドラゴンズ)の打球が特に速かった。土を噛むというのか、すごい勢いで打球が飛んできて、ボールを捕球した瞬間にぐっと押される感じがした。打ち損ねたはずなのに、生きているような打球を放つバッターだったね」
"伝統の一戦"には特別な緊張感があったと藤田も言う。
「巨人はとにかく強かった。いい選手が揃っていたし、日本球界を引っ張る特別なチームだった。僕らからすれば、『あの長嶋さんのいる巨人と戦わんといかんのか......』という感じやったよね。巨人戦は、ほかのカードと観客の数が違う。当時、甲子園球場は阪神ファンと巨人ファンが半分ずつ、完全にふたつに分かれとった」
巨人戦では、伝説的なシーンもたくさんある。たとえば、1968(昭和43)年9月18日、甲子園球場での試合。阪神のバッキーが王に投げた危険球によって、両軍が大乱闘。その後、リリーフに立った権藤正利から王が頭部に死球を受けて担架に乗せられて退場することになった。
「両チームの選手たちがもみ合っているのに、次のバッターの長嶋さんは黙って打席付近に立っていた。まったく我関せずというか、動じない。ざわついているなかで打席に立ってホームラン。
あの時の長嶋さんはきっと、乱闘に加わるよりもバットで決着をつけようと静かに燃えていたんやろうね。チームメイトやファンの期待にホームランで応えたというのが本当にすごかった」
両チームの騒ぎに決着をつける一発だった。
「最後にはすべてを長嶋さんが持っていったよね。あれがホームランじゃなくてヒットだったら、騒動はしばらく尾を引いたかもしれん。でも、長嶋さんのホームランによって、『騒動はこれで終わり』と言われたような感じがしたね」
著者プロフィール
元永知宏 (もとなが・ともひろ)
1968年、愛媛県生まれ。 立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。 大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)、『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)など多数。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長
3 / 3

