【長嶋茂雄が見たかった。】田淵幸一と藤田平の証言 巨人vs阪神、"伝統の一戦"での長嶋茂雄 (2ページ目)
【マスク越しに長嶋茂雄を見て学んだ呼吸法】
田淵幸一さん。「長嶋さんは動く教科書だったから、いろいろなものを盗んだよ」
田淵はプロ1年目の1969(昭和44)年に22本塁打を放っている。プロ6年目の1974(昭和49)年は45本塁打。翌年には43本塁打を放って、王の14年連続の本塁打王獲得を阻止した。
捕手として対峙することで、長嶋から学んだことがあると田淵は言う。
「王さんもそうだけど、長嶋さんは動く教科書だったから、いろいろなものを盗んだよ。打席に立った長嶋さんは息遣いがものすごく荒い。タイムがかかった時に『長嶋さん、どうしてそんなに息づかいが荒いんですか』と聞いたことがある。そうしたら、『田淵くん、ピッチャーが投げはじめた時に息を吸って、打つ瞬間に吐くんだよ』と言う」
チャンスになればなるほど、どうしても打者は力む。大事な試合、重要な場面で脱力するは至難の業だ。
「力が入っていたらダメなんだよ。長嶋さんは力を抜くコツを知っていて、ボールがバットに当たる瞬間に100%の力が出せる。そんなバッターは長嶋さんだけかもしれない。
自分なりに、長嶋さんの呼吸法を真似したよね。俺は全然、腕力がない。左足を挙げた瞬間に力を抜いて、インパクトの瞬間に力を入れる。100%の力を出せるように心がけていたんだよ」
田淵が入団した後、1970年代前半には巨人と阪神が激しい優勝争いを繰り広げた。いつも張り詰めた空気の中で行なわれる"伝統の一戦"で特別な強さを発揮したのが田淵だった。
「ほかのチームとの試合よりもお客さんが多い。テレビ中継があって、全国の人が見てくれる。打てば(年俸に反映されて)お金もたくさん入ってくる。それに加えて、『長嶋さん、王さんに、俺のホームランを見せてやろう』という自己顕示欲もあった。
俺がホームランを打ってサードベースを回る時、『田淵くん、よく打ったね』と長嶋さんが言ってくれるしね。『そうやって、敵なのに褒めてくれるんだ!』と思って、それまで以上に長嶋さんのことが好きになった」
田淵が特大の本塁打を放っても、ホームラン王を争う王は顔色ひとつ変えなかった。
「後楽園球場のジャンボスタンドに打ち込んだ時でも、王さんは無言だったけど、長嶋さんは『ナイスバッティング!』。長嶋さんにとって、どこのチームの選手も敵じゃない。お友達なんだよね、きっと。長嶋さんに褒められたことはその後の励みになった」
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