【プロ野球】数値が示した逆転のドラフト ソフトバンク2位指名・稲川竜汰、ホップ成分が切り拓いたプロへの道 (2ページ目)
それなのに、空振りが、そして三振が取れる。1年春の奪三振率は11.48(29イニング37奪三振)。ケガ明けの今春は、イニング数こそ少ないものの、15.30(10イニング17奪三振)をマークした。制球がばらつき、失点こそ重ねたが、地道なリハビリと並行して下半身強化を行なった結果、ホップ成分は以前よりもすごみを増した。
稲川自身も「自分の強みは伸びのあるストレート。そこでしっかりと勝負していきたい」と長所を自覚している。
【恩師のひと言から始まった投手人生】
恩師への感謝も忘れることはない。中学時代に在籍した岩国ヤングホープス(山口)では、2年まで捕手や外野をやっていたが、広島や日本ハムで通算88勝を挙げた佐伯和司監督(現・総監督)から「投げ方がきれいだから」と投手挑戦を進言されたことが転機となった。
そこから頭角を現し、2018年夏に甲子園初出場を果たした折尾愛真(福岡)から誘いを受け、関門海峡を渡ることを決断。
2年夏には最速145キロをマークする本格派右腕へと成長を遂げるが、同年秋の大会前に左足首を骨折。手術を経て、高校野球を引退するまで、左足にボルトを入れたまま投げ続けた。もし順調に3年間を送ることができていたなら、今頃プロで活躍していたかもしれない。
「違和感はずっとありました。投げ終わったあとにズレるというか、どうしても左足をいい感じに踏み込めずに、自分の本調子に戻ることはありませんでした」
そして大学でもドラフトイヤーを翌年に控える大切な時期に大ケガを負った。思いどおりにいかない日々。「野球を嫌いになりかけました」と自暴自棄に陥ったこともある。
それでも、山口にいる両親ら周囲の励ましが大きな支えとなった。父からは「自分の人生だから、野球を続けようが辞めようが、後悔のないようにやってほしい」と言葉をかけられ、「絶対に恩返ししたいという気持ちになった」と再び気持ちを奮い立たせた。
まずは最終学年で「野球に集中」するため、3年間で授業の単位を全て修得。人事を尽くした結果、不死鳥のように復活を遂げ、プロ入りの夢を叶えることができた。
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