【日本シリーズ】山川穂高、甲子園で放った価値ある一発 つかんだ「新しい感覚」がソフトバンクに勢いをもたらす (3ページ目)
そして山川がいたずらっぽく笑って言葉を継いだ。
「別に三振って誰も覚えてないんで。ホームランしか覚えてないと思う」
山川はいつも、少し沖縄訛りでゆっくりと落ち着いた口調でしゃべる。取材に丁寧に答えるから、報道陣が群がりやすい。ソフトバンクに移籍した昨季は毎日のように追いかけ回されるのに驚いていた。「僕、今日打ってないですよ。ほかに打ってない選手のところにも行っています?」と苦笑いしつつ、なんだかんだ10分近くしゃべることも珍しくなかった。
ただ、それは昨季の山川が移籍初年度だったこと、本塁打と打点の二冠を獲ったこと、不動の4番だったことなど、複合的な理由が絡んだことでもあった。
【不振で二軍落ちも経験】
だが、今季はレギュラシーズンで苦しんだ。130試合出場で打率.226、23本塁打、62打点。4番を外れるだけでなく、二軍調整となった時期もあった。いつも明るい笑顔が印象的な山川だが、この時期ばかりは相当しんどかったに違いない。報道陣の目を避けるように裏口から帰宅する姿も増え、いつしかそれが習慣となっていた。
とはいえ、基本的におしゃべりが嫌いではなく、もともと愛嬌のあるタイプだ。いろんな意味で、この日本シリーズで山川らしさが戻ってきた。
「シーズンが"すっとこどっこい"だったので......。そのなかで、最後こうやって打てる時が来たのはうれしく思います」
ところで、山川は職人気質なところもあり、打てる理由は技術にあるというのが持論だ。この日本シリーズでも、「新しい感覚が見つかった」と断言している。
「でも、それは内緒です。まだ終わっていないから。最後勝てば、言います」
はたして、早々に種明かしはされるのか。
第5戦も舞台は甲子園。完全アウェーのなか、左翼席の上部一角には2千人ほどの熱心な鷹党がまた集結するだろう。ホークスはもともと大阪を本拠地としていたチームだ。今も熱心なファンがいる。もし関西で日本一を決めるとすれば、南海時代の1964年以来、61年ぶりとなる。あの時も対戦相手は阪神。鶴岡一人監督が舞ったのは甲子園球場だった。
著者プロフィール
田尻耕太郎 (たじり・こうたろう)
1978年生まれ、熊本市出身。 法政大学で「スポーツ法政新聞」に所属。 卒業後に『月刊ホークス』の編集記者となり、2004年8月に独立。 九州・福岡を拠点に、ホークスを中心に取材活動を続け、雑誌媒体などに執筆している。
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