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【プロ野球】都立高出身右腕・秋吉亮が振り返る波乱万丈の野球人生 「ノーテンダーっていう言葉すら知らなかった」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 2022年はまだ33歳でした。失礼ながら、不調の原因はこれまでの登板過多だったのでしょうか。

秋吉 プロ入りしてから、60試合以上の登板を3年続けました。リリーバーで結果を出している投手が3、4年投げつづけていると、急に調子が落ちたりします。やはり疲労が蓄積するのかもしれません。だから、リリーバーとして長年投げつづける投手はすごいと思います。

── 2023年は再び独立リーグの千葉スカイセイラーズに在籍しました。

秋吉 しっかり準備してやっていましたが、環境など、やはりNPBとはまったく違いました。結局1年で退団し、現役を引退することになりました。一緒にプレーした選手たちは、給料も含め厳しい環境のなか、みんなプロを目指して一生懸命やっていました。

── プロ野球人生のなかで、一番思い出に残っている出来事は何ですか。

秋吉 やはりヤクルトの2015年、74試合に登板して6勝22ホールドで優勝に貢献できたことです。十何年プレーしても優勝を味わえない選手がいるなかで、じつに貴重な経験でした。

── では、対戦したなかで印象深い打者は誰ですか。

秋吉 プロ1年目の時に対戦した巨人の高橋由伸選手、阿部慎之助選手ですね。ずっとテレビで見ていた選手と対戦できた時は、ほんとにうれしかったです。

── やり残したことはありますか。

秋吉 プロ2年目に74試合、3年目に70試合とリーグ最多登板でしたが、タイトルは獲れませんでした。最優秀中継ぎや最多セーブのタイトルを獲得したかったですね。

── 現在の活動について教えてください。

秋吉 野球塾で子どもたちに指導しています。ゆくゆくはプロ野球選手を育てられたらいいなと思っています。また講演会で、小学生に「夢に向かって頑張ること」「あきらめないこと」を伝えています。自分自身、小学生時代は控え選手でしたから。現役時代から、引退したら野球の普及発展に尽くしたいと考えていました。


秋吉亮(あきよし・りょう)/1989年3月21日生まれ。東京都出身。都立足立新田から中央学院大、パナソニックを経て、2013年ドラフト3位でヤクルトに入団。1年目から中継ぎとして頭角を現し、2年目の15年にはチーム最多の74試合に登板して日本一に貢献した。17年には侍ジャパンの一員として第4回WBCに出場。6試合に登板して防御率0.00の好成績を挙げる。18年オフにトレードで日本ハムに移籍。19年は自己最多となる25セーブをマークした。21年オフに自由契約となり独立リーグでプレー。22年のシーズン途中、ソフトバンクに入団するも同年オフに戦力外を受ける。23年は選手兼コーチとして独立リーグに復帰するも、同年限りで退団し現役を引退。現在は講演、技術指導など野球の普及活動に励んでいる

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