西武・山田陽翔は3年目の今季、いかにして覚醒したのか? 甲子園のスターが直面したプロの壁と試行錯誤の2年 (2ページ目)
今年4月3日、プロ初登板の楽天戦後には「緊張しました」と話したが、固くなるという感覚ではなかったという。
「いい緊張感があって、楽しめたって感じですね。『抑えて次につなげるぞ』と。ここからスタートだっていう、ワクワクとした緊張感を持ちながら投げていました」
【中学時代に最速142キロをマーク】
成績を見れば、充実したシーズンを送っていることは誰の目にも明らかだ。実際に向き合って話してみると、その内面の豊かさがより伝わってくる。今という瞬間を、心から楽しんでいる様子が全身から溢れ出ているのだ。
── 今、野球が楽しくて仕方ないですか?
「乾いた雑巾のように、吸い込むことが多すぎて」
── 投げたくて仕方ない?
「いやぁ(笑)。でも知識はたくさん、もっともっと勉強したいなと思います」
なんでも貪欲に吸収する姿勢は、幼少の頃から変わらないという。
「通っていた保育園がけっこうアクロバティックなところだったんです。冬でも毎日マラソンをして、ブリッジ、体操、跳び箱とかをやっていて。それが楽しくて、小学校に入ってからも体操をちょっと続けました」
母親の職場に近い保育園に通っていたところ、たまたま恵まれた環境が揃っていた。卒園後、小学1年で野球を始め、中学3年時には球速142キロを記録。当時の身長は170センチほどで、いわゆる早熟型の選手だった。
高校は兄と同じ大阪桐蔭にも誘われたが、「まだ甲子園で優勝のない滋賀で日本一になりたい」と、近江高校を選んだ。
3年時のセンバツでは、1回戦から準決勝まで4試合連続で完投勝利を挙げた。昭和の高校野球を思わせる熱投ぶりは話題を呼んだが、一方でその起用法には賛否が分かれた。令和の価値観からすれば"登板過多"とも受け取られかねないが、「問題ない」とSNSで擁護する有名トレーナーの声もあった。
身体の成長的に言えば、山田は当時から成熟した選手だった。インボディという体の成分を測る器具で、高1時点で98点(100点満点)を記録していたのだ。
「入団時の筋肉量で言うと、ライオンズのピッチャーの平均値にすでに達していました」
そう証言したのは、秋元宏作スカウト・育成統括ディレクターだ。
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