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西武・山田陽翔は3年目の今季、いかにして覚醒したのか? 甲子園のスターが直面したプロの壁と試行錯誤の2年 (3ページ目)

  • 中島大輔●文 text by Nakajima Daisuke

【森脇亮介とのキャッチボールがヒントに】

 西武では入団1年目の春季キャンプから「状態がよかった」と山田自身は振り返る。それでも一軍デビューまで3年を要したのはプロの壁にぶち当たり、隘路(あいろ)にはまり込んだからだ。

「キャンプって、自分と向き合うだけじゃないですか。でも対プロのバッターになった時に、どうしてもその時の実力ではすぐに結果を出すことができず、ちょっと悩んでしまって。いま思えば高卒でいきなり通用しないのは当然ですけど、何かのせいにしないとっていう感じで、『フォームのせいだ』と。それでフォームを少しずつ変えていくうちに、なかなか定まらなくなってしまって......」

 1年目は登板間隔を開けながら、二軍で3試合に投げた。2年目もなかなか上向く気配が見えないなか、オールスターを迎えた頃、光明を差し込む人物が現れた。西武の元投手で、引退後はバイオメカニクスを担当する武隈祥太氏だ。

「武隈さんと『フォームがこうなっているから、こう直していこう』としっかり話をさせてもらって、少しずつやるべきことが明確になり、よくなっていきました」

 具体的には、膝が"割れる"という悪癖があった。山田が説明する。

「膝が割れて、左足が沈んでから投げにいっていました。先に体が下がるから、並進運動のベクトルが上に向く。マウンドの傾斜をうまく使えていませんでした」

 どうしたら改善できるか。"変則フォーム"と言われる森脇亮介とキャッチボールをしている時、ピンと来た。

「左足を上げて、伸ばしたまま並進していく森脇さんのスタイルが、その時の自分にすごく合っていました。森脇さんを参考に、左足を伸ばして並進していく投げ方に馴染んだあと、自分の投げやすいように取り入れていきました。(以前と並進運動の)ベクトルの向きが変わるだけで投げやすくなったので、フォームが馴染むのはすぐでしたね」

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