【MLB日本人選手列伝】イチロー: 「記録」と「記憶」の両面で稀有な存在に昇華した 永遠の求道者
殿堂入りスピーチでも独自の人生観を披露したイチロー photo by Getty Images
MLBのサムライたち〜大谷翔平につながる道
連載02:イチロー
届かぬ世界と思われていたメジャーリーグに飛び込み、既成概念を打ち破ってきたサムライたち。果敢なチャレンジの軌跡は今もなお、脈々と受け継がれている。
MLBの歴史に確かな足跡を残した日本人メジャーリーガーを綴る今連載。
第2回は日本人打者としての道を切り開き、日本人初の米国野球殿堂入りを果たしたイチローを紹介する。
【日本人野手の「評価基準」を超え「稀有な例外」に】
日本人史上初のアメリカ野球殿堂入り−−。7月27日、ニューヨーク州のクーパースタウンで行なわれた殿堂入りセレモニーでのイチローの姿は、日本だけではなく、アメリカでも大きく取り上げられた。もちろん日本の野球界にとって大変な金字塔ではあるが、現代の大谷翔平同様、イチローに関してはもはや"日本人史上初"といったくくりで語られるのは適切ではないのだろう。
「振り返ると、あまりにも多くの出来事があった。いいことだけではなく、苦しいこともたくさんありました。最終的に一歩ずつここに近づき、この日を迎えられたことは言葉では言い表わせないほどの気持ちです」
今年1月の殿堂入り発表時、イチローは自らのキャリアを感慨深げにそう振り返っていた。2001年にシアトル・マリナーズでメジャーデビューすると、1年目にいきなりMVP、新人王、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞のタイトルを同時に獲得してアメリカのファンの度肝を抜いた。以降も10年連続で「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」を達成。さらには2004年にはジョージ・シスラーが持っていた257本というMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新する262本を打つなど、常軌を逸した活躍を継続していった。
「僕は日本で7年続けて首位打者を取ってのタイミングだったので、アベレージヒッターにとっては僕がその指標になるというか、基準にされるという認識がありました。野手の評価、日本人の野手の評価は僕の1年目で決まるという、そういう思いを背負ってプレーした記憶があります。その後3年プレーした時にようやく周りからも、主に米国の方にもある程度認めてもらったという感触がありました」
イチローはそう述べていたが、結果的にイチローが"日本人野手の評価の基準"になったわけではなかった。打つだけではなく、守備力、強肩、スピードなどをすべてハイレベルで備えたスーパーアスリート。これほどの選手が"指標""基準"になったのでは、ほかの野手はたまったものではない。実際には"稀有な例外"として認められるようになったというほうが適切だったはずだ。
イチローは"数字の選手"という印象もあるが、アメリカ国内でも絶大な人気を集めた背景として、そのスター性も大きかったのだろう。ユニークなプレースタイル、独特のカリスマ性もあって、"別格"と呼び得る存在感を勝ち得てきた。
印象深いのは、2012年のシーズン中に断行されたトレードでマリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍した際のことだ。当時のイチローはすでに明らかに全盛期を過ぎていたにもかかわらず、目の肥えたニューヨークのファンからも熱狂的に迎えられた。まだヤンキース選手として実績を残す前から、驚くほどの大歓迎。オールドスクールな視点で知られた元『ニューヨークタイムズ』の名物記者、マレー・チャスがその当時、こう述べていたのを昨日のことのように思い出すことができる。
「イチローは特異な存在として私も評価し、好んできた。バットをステッキのように扱うまるでマジシャンのような選手。これほど魅力的な選手はなかなかいないよ」
著者プロフィール
杉浦大介 (すぎうら・だいすけ)
すぎうら・だいすけ 東京都生まれ。高校球児からアマチュアボクサーを経て大学卒業と同時に渡米。ニューヨークでフリーライターになる。現在はNBA、MLB、NFL、ボクシングなどを中心に精力的に取材活動を行なう

