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石毛宏典がサードから見ていた潮崎哲也の「魔球」シンカー 「あれは、バッターは戸惑いますよ」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――ちなみに、なぜ共同石油の女子バスケ部と一緒に自主トレをしたんですか?

石毛 当時の共同石油は常に優勝を争う強豪チームで、中村和雄さんという優れた監督がいたんです。西武のトレーナーが中村さんと親しい間柄だったので、紹介いただく形で実現しました。共同石油の練習に参加して、食事も一緒にとるなどして交流を深めていきましたね。

【潮崎のシンカーが打ちづらい理由】

――潮崎さんの代名詞でもあるシンカーは落差が大きく、「50cm沈む」とも言われていました。石毛さんが守っていたサードから見た軌道はどうでしたか?

石毛 まず腕の振りに関しては、真っすぐを投げる時とほとんど同じ。むしろ、シンカーを投げる時のほうが腕の振りが強いと思うくらいでした。あれは、バッターは戸惑いますよ。そして軌道は、一回少し浮き上がるような感じなので、バッターの目線も上がるんです。それで体勢を崩されてしまうので、バットがスムーズに出せない。これぞ"魔球"というボールだったと思います。

 マウンド度胸というか、気持ちの強さも感じました。左バッターのインサイドも厳しく攻めていましたし、コントロールにも自信を持っていたと思います。シンカーが注目されがちですが、真っすぐにもキレがありました。

――1992年の日本シリーズ(西武対ヤクルト)で潮崎さんのシンカーを見た野村克也さんが、高津臣吾さんに潮崎さんのようなシンカーの習得を進言したこともありましたね。

石毛 高津はタイプが少し違うシンカーだったと思いますが、彼は彼なりに独自のシンカーを習得して武器にしましたね。翌年の日本シリーズで再びヤクルトと当たった時、西武のバッター陣は高津に苦しめられましたよ(笑)。

――石毛さんはチームリーダーとして、マウンドに行ってピッチャーに喝を入れることも多かったですが、潮崎さんとの印象的なやりとりはありましたか?

石毛 ピッチャーがコントロールを乱してフォアボールを出したり、気持ちで逃げていたりする時などはマウンドに行っていましたが、潮崎の場合はフォアボールが続いてピンチを招いた記憶があまりないんです。潮崎と同じく、リリーバーで頑張ってくれた杉山賢人もそうでした。

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