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石毛宏典がサードから見ていた潮崎哲也の「魔球」シンカー 「あれは、バッターは戸惑いますよ」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【もし対戦したらどう打つ?】

――以前から石毛さんは、西武の黄金期の中でも「1990年が最も強かった」と言われています。リリーフ陣では、潮崎さんがプロ入り1年目で、西岡良洋さんとのトレードで鹿取義隆さんが巨人から移籍してきた年でもありました。

石毛 リリーフ陣が強化されたことで、先発を含むピッチャー陣はより盤石になりました。のちに杉山(1992年ドラフト1位)も入ってきて、杉山・潮崎・鹿取が試合を締めてくれました。それと、彼らの場合は仮にランナーを溜めてしまっても、自分で"尻拭い"ができましたから。3人とも素晴らしいリリーバーだったと思いますよ。

――仮に、石毛さんが潮崎さんと対戦した場合、シンカーをどのように打ちますか?

石毛 当時のパ・リーグの名バッターたちも打ちあぐねていたくらいですし、自分も打てないんじゃないでしょうか(笑)。たまに投げてくる真っすぐを打ち損じないようにするしかない。シンカーはフォークと違って、一回浮き上がる感覚があって、目線が上がってしまうのがやっかいなんです。特に潮崎のシンカーは落差が大きいので、なかなか対応しきれないでしょうね。だから、あれだけの成績を残せたと思うんです。

――プロ1年目から7年連続で40試合以上を投げ、チーム事情で先発に転向した1997年は12勝(7敗)を挙げるなど、長く西武のピッチャー陣を支えました。

石毛 黄金期と呼ばれていた頃の西武には、先発もリリーフも優秀なピッチャーが多かったですが、潮崎の安定感はナンバーワンだったと思います。大きな故障もなかったですしね。先ほどもお話しましたが、ピンチに動じないメンタルの強さもあって、練習などで適当に手を抜ける、いい意味での"うまさ"もあった。どんな状況でも、安心してまかせられるピッチャーでしたね。

(後編:潮崎哲也の8者連続奪三振「体は小さいのに、マウンドにいる姿は大きく見えた」>>)

【プロフィール】
石毛宏典(いしげ・ひろみち)

1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル
「石毛宏典TV」はこちら>>

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著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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