ヤクルト・高橋翔聖はWBC予選を戦った経験を生かす 台湾代表期待の若手は支配下登録を勝ちとれるか (2ページ目)
昨年のプレミア12でチームを世界一に導いた台湾の曾豪駒監督は、最終戦となるプレーオフに弱点である投手陣を次々につぎ込むプランを決断。言わばニカラグア戦は、勝っても負けても大勢には大きく影響しない"消化試合"の意味合いが強かった。
【青天の霹靂だった代表入り】
そのニカラグア戦の先発のマウンドを託されたのが、代表初選出、チーム最年少の徐翔聖だった。彼は一昨年のドラフトで、ヤクルトから育成1位で指名され話題となった高橋翔聖である。
台湾人の父と日本人の母との間に生まれた高橋は、幼少期に2年ほど日本で過ごしたものの、その後は台湾で育った。小学校5年の時に、関西出身で阪神ファンの母の影響で野球を始めた高橋は、高校は台北郊外の新北市にある鶯歌工商に進学。
この高校はスポーツに力を入れており、野球部の監督は台湾プロ野球で通算1216安打を放った王傳家。台湾球界のレジェンドから指導受けた高橋はメキメキと頭角を現し、最速150キロを記録。当然のことながら、台湾球界から注目されていた。
しかし台湾プロ野球のドラフトを前に、NPBのヤクルトが2023年のドラフトで高橋を育成1位指名。高橋は翌年の学年終了後にヤクルトと契約を結び、日本でプロとしての第一歩を踏み出した。
プロ1年目は体づくりに専念し、イースタンリーグの公式戦出場はわずか2試合、2イニングの登板だった。
そんな高橋が台湾代表に招集されるというのは、本人にとってもまさに青天の霹靂だった。
【ほろ苦い代表デビュー】
高橋の脳裏には、幼き日にテレビで見た熱戦が焼きついている。2013年のWBC第2ラウンド第2試合、台湾野球が日本野球にもっとも近づいた試合となった。現役メジャーリーガー・王建民を先発に立てた台湾は、9回二死までリードするなど侍ジャパンを追い詰めた。結果的に延長で日本が勝利するが、WBC史上に残る名勝負を目の当たりにした幼き翔聖の夢は単にプロ野球選手になるだけではなく、代表チームに入って活躍することになっていった。
「台湾、日本っていうのはありません。とにかく国を代表してプレーしたいと思うようになりました」?
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