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ヤクルトはなぜ2年連続5位と低迷したのか? 髙津臣吾監督「連覇の時から、このままだったら大変なことになるとずっと思っていた」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

── 今年も故障者に泣かされたシーズンとなりました。

髙津 2月のキャンプ、オープン戦で、イメージしていたのとはガラッと変わってしまいました。開幕前から先発ローテーションに苦しみ、その後も主力が抜けてしまい、やりくりが難しかったです。試合中のアクシデントは仕方ない部分があるでしょうけど、やっぱり強い体をつくらないといけないのでしょうね。しんどい時に耐えられる体というか、シーズン143試合を戦う、オープン戦も含めるともっと増えていきますが、それを乗り越えていく体力。そして、歯を食いしばり立ち向かっていく精神力もまだまだ足りないのかなと。

── シーズン中、「防げたケガもあったかもしれない」という言葉が記憶に残っています。

髙津 死球でも、もしかしたら避けられたんじゃないか。自打球にしてもなんとかできたんじゃないかと思うこともあります。「死球だから仕方ない」では終わらせず、そうなった理由を追究することも大事なのかなと。ケガを繰り返すものも、復帰に時間がかかることも追究していかないといけない。チームにとってケガ人が出ることは、大きなマイナス要素ですので。

 その代わりに新しい選手が出てきたかというと、そこが他球団との差が広がっていく結果になってしまった。この2年、シーズンに入った時はこうだったけど、シーズン中にこう落ちていきますという状態が続いているので、来年は逆に上がっていくように、防げるケガも含めて考えていきたいですね。

【試行錯誤を続けた打順】

── 故障者や状態が上向かない選手が多く、打順は目まぐるしく変わりました。村上宗隆選手を2番、山田哲人選手を6番や7番で起用する試合もありました。

髙津 簡単な決断ではなかったですね。自分の思い描いたものを崩すわけですから。正解かどうかわからないけど、次に進むために必要だと決断しました。僕の理想は、ずっと哲人とムネ(村上)の並びで、その前に1番の塩見(泰隆)がいて、ノリ(青木宣親)が2番にいる。そこを崩して、哲人をムネの後ろで打たすことも、ムネを4番より前の打順で打たすことも、非常に大きな決断でしたね。

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