青木宣親は飯田哲也から見て「もったいない」選手だった!? 「野村克也さんが監督だったら使われなかったかもしれない」 (4ページ目)
━━気は早いでしょうが、「いずれはヤクルトの監督に」と期待しているファンも多いと思います。
「ヤクルトのスーパースターですから、監督になってほしいという期待は大きいでしょうし、なるべき選手です。それは私個人の願望でもあるのですが、ダメなものはダメ、チームのためにすべてのプレーを全力でやる、といったことを伝えていってほしい。
言葉で『全力でやる』と言うのは簡単です。大事なのは、行動に移せるかどうか。クライマックスシリーズや日本シリーズなどは、みんな一生懸命になるものなんです。でも、シーズン中のプレーも見ている人は見てますから。『普段から一生懸命やろう』というところです。私がヤクルトのコーチ時代に、嫌われてもいいから青木に言い続ければよかった、と後悔している部分ですね」
━━飯田さんは2015年からソフトバンクでコーチを務めることになりますが、その際には同様の指導をされたんですか?
「『一生懸命、全力で』ということは、特にベテランの選手たちにお願いしていましたね。選手たちはそれに応えてくれたし、そうなると自然に若手がそれについてくるんです。
メジャーから帰ってきたあとの青木も、村上宗隆や長岡秀樹をはじめ多くの選手に慕われていますし、いい手本になっていたんだと思います。もし指導者になることがあった時は、自身のような手本になるような選手を育てるべく、あえて"厳しい指導者"であってほしい、というのが私の願いです。いい時も悪い時も、メジャーも経験している青木の"野球観"を伝えてほしいですね」
(後編:今江敏晃監督の1年での解任に「賛成しがたい」 楽天は「球団として変わらないといけない」>>)
【プロフィール】
飯田哲也(いいだ・てつや)
1968年5月18日、東京都生まれ。拓大紅陵高3年時に春夏連続して甲子園に出場し、86年ドラフト4位でヤクルトに入団。捕手として入団するも、野村克也監督に俊足、強肩を買われ外野手に転向。91年から97年まで7年連続ゴールデングラブ賞を獲得し、ヤクルト黄金時代の名手としてチームを支えた。05年に楽天に移籍し、翌年現役を引退。引退後はヤクルト、ソフトバンクでコーチを務め、20年より解説者として活躍。
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