「リリーフは落ちこぼれ」の時代、稀代の大エース・江夏豊はなぜ野村克也の提案を受け入れ抑え転向を決断したのか (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「たしかに、遠征先のホテルの野村さんの部屋で話し合っていた時、『革命を起こさんか』と言われたよ。でも、実際には自分自身、『革命』と言われても、何が革命なのかわからなかったし、どういう意味なのかもわからなかった。後々、聞いた話では、その時の監督は眠たかったから、いい加減、早く話を終わらせて寝ようかと思っている時、たまたま偶然、『革命』が出たらしい。

 そんな状況だったから、自分はその日を限りにきっぱりと転向を決断したわけでもないし、何となしに納得したようなもんだった。ただ、『革命』という言葉が意味不明なだけに、何か印象に残るものがないわけではなかった。戦いの場に身を置く者として『革命』は魅力的な言葉だし、ピンとくるものはあった。だから監督に『革命って何ですか?』って聞いてみたんだ」

 野村曰く、「これからの野球は変わる。もう、ひとりの投手で1試合をまかなう時代じゃない。一日中、マシンを相手に打てる打者の技術向上はすごい。反対に投手は一日中、ボールを投げているわけにはいかん。肩は消耗品だから」と。

 5月25日のクラウンライター(現・西武)戦、江夏は5回途中から三番手で登板。救援で2勝目を挙げたが、同31日の近鉄戦に先発する。これは野村に考えがあっての起用で、あえて打線好調の近鉄に江夏をぶつけ、先発への思いを断ち切らせようとしたのだった。結果は3回1/3で5安打4失点KO。江夏自身、「これではあかん」と転向を決断、生涯最後の先発となった。

(文中敬称略)

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江夏豊(えなつ・ゆたか)/1948年5月15日、兵庫県出身。大阪学院高から66年のドラフトで4球団から1位指名を受け、阪神に入団。その後、84年に引退するまで阪神をはじめ、南海、広島、日本ハム、西武と5球団で活躍。最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振6回、最優秀救援投手6回、ベストナイン1回、沢村賞1回、MVP2回など数々のタイトルを獲得。また、68年にはシーズン401奪三振の世界記録を樹立し、71年のオールスターでは9連続奪三振を達成するなど、数々の伝説を持つ。通算成績は206勝158敗193セーブ

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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