佐藤道郎は「8時半の男」の記録を抜くためだけに登板 まさかの2被本塁打も最優秀防御率のタイトル獲得 (4ページ目)
抑えの前に投げる中継ぎの重要性については、巨人の宮田が20勝した時も同様だった。とくにベテランの北川芳男が「つなぎ」で大きな役割を果たしたと、監督の川上哲治も認めていた。現在のセットアッパーにもつながる部分はありそうだ。佐藤の前に投げた上田はその70年、キャリアハイの44試合登板で3勝2敗、116回を投げて防御率3.18という成績を残した。
翌71年、佐藤の登板数は39試合に減少。投球回数は93回2/3で規定未満だったなか、球界OBの評論家たちはマスコミ上で名リリーフ待望論を展開。そのひとり、河村英文(元西鉄ほか)は宮田と佐藤の名を挙げ、打力優勢の時代に勝つためには「救援型の強力な投手」を擁した継投策が不可欠と説いた。徐々に、先発完投がすべてではないという流れになっていた。
そのなかで72年の佐藤は一気に登板数を増やし、リーグ最多の64試合に登板。11試合連続登板のパ・リーグ記録もつくりつつ、先発は2試合ながら154回を投げて規定投球回に到達。9勝3敗という成績で最高勝率のタイトルを獲得した。
一方で佐藤には、かねて気になっている記録があった。アメリカにはあって、日本にはまだない、セーブという記録だった。
(文中敬称略)
プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
4 / 4