江川卓との対決で掛布雅之が最も印象に残っている打席「一度だけ敬遠されているんだけど、あのストレートのすごさは忘れられない」 (4ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 3ボールとなったところで、江川は二塁に牽制をした。このような状況でも、江川は自分を見失うことはなかった。スタンドから「弱虫、弱虫」コールが浴びせられるなか、江川の深奥に渦巻く思いが込められたボールは、ストライクゾーンからはるか高めに外れた。

 結局、掛布は歩かされ、二死一、二塁で岡田彰布を迎えた。江川は怒りのボルテージを抑えないまま、出力全開で真ん中高めにストレートを投げ込んだ。岡田は強振して、バックネットを越すファウル。2球目は真ん中やや外よりのストレートを投じると、再び岡田は強振。初球と同じようにバックネットを越すファウルかと思われたが、ネットギリギリで山倉がキャッチした。

 終生のライバルと勝負のなかで、掛布が印象に残る対決として挙げたのが"敬遠"というところに、ふたりの思いが詰まっているような気がした。


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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