江川卓の巨人入り直後はキャッチボール相手もいない孤立無援 西本聖が「やろうか!」と声をかけた (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

「『キャッチボールしてくれ』って言っても、誰もしてくれない。小林さんが出られて僕が入ってきたわけだから雰囲気が悪いのは当然で......。定岡(正二)もしないし、鹿取(義隆)は学生野球の時に一緒にやっていたから『してくれよ』って言っても、『いや、ちょっと......すみません』って。するなって言われていたんでしょうね。だから、壁にでもぶつけようかなと思っていたらニシ(西本)が声をかけてくれて、ありがたいなと思って」

 そう笑顔でうれしそうに話す江川だったが、なぜこの時、自分とキャッチボールをしてくれたのかその理由については知らなかった。

「誰もしないんでね。するなら自分しかいないと思って、声をかけたんだけど。もし自分がそういう立場だったら嫌じゃないですか」

 キャッチボールが始まる時、江川がひとり右往左往しているのを見て、西本は何の打算もなく「やろうか!」と名乗り出た。

「あの時は本当にありがたかった」

 素直に感謝の意を述べた江川の目は穏やかで、信頼する友の顔を見つめている。それに応えるように、西本のにこやかな表情で返す。

「してあげたのは最初だけ(笑)」

「いやいや」

「あっ、間違えた。一緒にいる間はキャッチボール、体操、ランニングとずっと一緒にやっていたからね」

「それからずっと一緒だったもんね」

 何とも言えない温かい空気が、ふたりを包んでいく。それからすぐ、西本がふとした拍子に落としたハンカチを、江川がさりげなく拾ってテーブルの下からそっと渡す。そのシーンを見ただけで、心血注いだライバルとして互いにリスペクトするからこその絆が手にとるようにわかった。

 誰もキャッチボールをしてくれず、孤立無援だった江川は「やろうか!」という西本の声に救われた。プロに入って、初めて喜びを感じたシーンだったのかもしれない。それくらい、初めてキャッチボールをしてくれた西本に対し、言い知れぬ気持ちを今でも抱いている。江川にとって西本がキャッチボールの相手で本当によかったと思っている。それは西本も同じ思いである。

(文中敬称略)

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江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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