江川卓と小林繁のCMを見た中畑清は「なんでそういう時間をもっと早くつくってあげられなかった」と悔いた (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 中畑は上を見つめながら、かすれ声で話した。

 2007年秋に流れた博報堂制作の『黄桜』のCM。白ホリのスタジオで、江川と小林が"28年目の和解"というテーマでお酒を酌み交わしてトークする。通常、CM撮影では絵コンテが必須だが、監督は「台本なし」の一発撮りを敢行したことも手伝って、当時大きな話題となり、のちにCM殿堂入りを果たしている。

"空白の一日"で人生が大きく変わった江川と小林のふたりが、CMのなかで邂逅し、28年間の想いを互いに慎重を要しつつもぶつけ合った。掛け値なしの人間ドラマが、たった1分30秒のなかに凝縮された。

「今回の巨人のOB会長を決める時もそうなんだけど、必ずあいつに言うんだよね。『次はおまえがやれ。それだけのポジションにいる人間なんだから。誰も文句は言わない』って。でもあいつは『それなら僕は抜けます』って、頑なに引き受けない。もはや意固地とかじゃなく、罪人みたいに思っているんだよ。だから、あまり目立ちたくない、トップになりたくない。本当の意味で、あいつに青春時代はなかったんだと思う。華やかな場所でやってきた人間なのに、あまりにも華やかなところを避けてしまう部分があるとオレは感じるんだよね。時間が解決してくれるはずなんだけど、あいつのなかで許せないところがあるんだろうね」

 江川には、自分のせいでひとりの人間の人生を変えてしまったことへの後悔。テレビで見せるひょうきんな表情の裏側に、いまだに償いきれない思いが宿っているのだろうか。江川が背負っている十字架は、想像以上に重いものなのかもしれない。だからこそ、中畑は今もなお罪深く感じている江川に対し思うことがある。

<もういいんだ、おまえだけが悪いわけじゃない、だからもういいんだ>

 そう耳元でささやくことで、江川の深奥にある硬く閉ざされた何かを、どうにかして和らげてあげたい。儚いかもしれないが、それが中畑清の思いだ。

(文中敬称略)


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

著者プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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