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斎藤佑樹が絶対に泣かないと思っていた鎌ヶ谷でのラスト登板で涙 「幸太郎のせいです」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

 僕のなかでは、「調子いいじゃん」ってくらいの感じだったんです。フォークも武器にできる新しい自分を見つけた、くらいに思っていました。甲子園ではストレートとスライダーだけで勝った、でもアメリカでさらにフォークを覚えた。大学からプロへ行くためには新しい変化球を増やさなくちゃいけないと思っていましたから、すごくうれしかった。でも、じつはあれで自分のリズムが変わって、歯車がズレ始めていたんだろうなと今ならわかります。

 今はトラックマンのようなツールのおかげで、いろんなデータを見ることができるようになりました。そこで僕の得意球は何だろうというふうに見ていたら、フォークの回転数と回転軸がすごくいい感じだという数字が出ていました。そうか、フォークがいいのか、と思って投げていたら、いい数字が出たときって肩に負担がかかる感じがあるんです。

 そういえば......と思い返してみたら、フォークを落としにいくための投げ方をして、実際にすごく落ちているときって、アメリカの硬いマウンドに適した、負担のかかる投げ方をしていました。トラックマンのデータがなかったら気づかなかったことかもしれませんけど、それがいっぱいあった小さな悔いの最初だったのかもしれません。

 それでも最後の数年は本当に楽しく野球に向き合うことができました。とくに2021年は自分で考えて、投げて、トライアンドエラーで、でも、こうやったら打ちとれるんじゃないか、こうすれば結果は違ってくるんじゃないかということを、データを見ながら、あるいは自分のフォームを撮影して動画で見ながら、いろいろ考えてやってきた感じはします。それが頭の中で整理できたときには身体が言うことを聞かなくなっていて......すべてを合致させるのは難しいものですね。

 とはいえ、僕はやり尽くしたというふうには思っていました。本当は2020年のオフも、そういう気持ちになれていたんです。それが、さらに1年、余計にチャンスをもらえた......それは野球の神様からのご褒美だったのかなって、今はそんなふうに思っています。

*     *     *     *     *

 鎌ヶ谷のファンに別れを告げた斎藤は、札幌のファンにも想いを伝えるべく、引退試合に臨む。2021年10月17日、札幌ドームのバファローズ戦にリリーフとして登板、試合後には引退セレモニーが予定されていた。その斎藤を最後のマウンドへ送り出すのは栗山英樹監督だった。斎藤は栗山監督の言葉を聞いて、札幌でも涙で頬を濡らすことになる。

次回へ続く


斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している

著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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