ソフトバンク最強リリーフ陣誕生秘話 勝利の方程式「SBM」はいかにして結成されたのか (2ページ目)
【ナイーブだったファルケンボーグ】
── その後、盟友の秋山幸二監督の就任が発表されて、高山さんは一軍ブルペン担当から一軍ベンチ担当へと配置転換されました。
高山 二軍、一軍で3年間コーチをやらせてもらって、ある程度の戦力把握はできていましたが、立て直すのは容易ではないと感じていました。秋山監督と話したのは、「とにかく7〜9回をしっかりと抑えられるリリーフをつくろう」ということでした。
── 9回の抑えは馬原孝浩投手がいました。2008年は故障で出遅れ、11セーブに終わっています。
高山 抑えは馬原しかいないと思っていました。野球選手としても人間としても任せるべき男だという認識は、秋山監督との間で一致していました。あとはまったくの白紙だった7回、8回を誰に任せるか。競争を勝ち抜いたピッチャーをしっかり見ていこうと考えていました。
── そんななか、来日1年目のブライアン・ファルケンボーグがセットアッパーに定着していきます。
高山 ファルケンは球威があるだけでなく、身長2メートルと大きいにもかかわらずコントロールもよくて、クイックモーションもできる。能力が高くて面白い投手でした。その一方で、すごくナイーブな人間でもありました。ヒジとヒザに故障歴があって激しい運動ができませんでしたし、来日当初はツーシームばかり多投して打たれるケースが目立ちました。
── 打たせてとる投球をしようとしていたのでしょうか。
高山 的山哲也バッテリーコーチによると、「メジャーではフォーシームを打たれたから、自信がない」と言うんです。でも、日本でツーシームを多投しても、やはりピリッとしませんでした。そこで「日本にはおまえみたいな角度のあるピッチャーがいないから、もう1回フォーシームを怖がらずに多めに投げてみたらどう?」と提案しました。すると、フォーシームで空振りやファウルがとれて、やっぱりいいんです。タテのカーブやフォークもよかったので、徐々にいい場面で起用できるようになりました。
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