松永浩美が明かす「福本豊、引退騒動」の真相 上田利治監督の「去る山田、そして福本」に何を思ったのか (3ページ目)
【珍しく福本の感情が露わに】
――福本さんが引退を受け入れたことは意外でしたか?
松永 意外というか、「ここまできたら受けるんだろうな」と思いました。福本さんは、争いを好むタイプではない。事を荒立ててまで自分の主張をする人ではないとわかっていたので。
ただ、上田監督と話し合っている最中だと思っていたわけで、それを無下にされた無念さのようなものは少し感じました。福本さんは普段会話する時も淡々としていて、感情をほとんど表に出さない方なのですが、珍しく感情を露わにしていて......あんな姿を見たのは初めてでした。
あの時は新幹線のグリーン車で周りに人がいませんでした。夜遅かったし、近くの席に人がいなかった。もし近くに誰かがいたら、私から話を持ちかけることもなかったと思います。聞かれたらまずい話ですから。
――露わになった感情というのは、やはり怒りのようなもの?
松永 怒り、ということではなく、本当に「感情が出ていた」という感じなんです。先ほど(前編で)も話しましたが、上田監督に何か言われても「すいません!」と言う方ですし、そういうイメージが強かったので余計にそう感じたんでしょう。とにかく、あれだけじっくり福本さんと話したのは初めてだったんじゃないかな。
――福本さんと松永さんの関係の深さが伝わってきますね。松永さんにとって、福本さんはどんな存在ですか?
松永 挨拶の仕方から普段の過ごし方、準備の大切さ、バッティングや守備、走塁などに対する考え方......本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。そういったことを厳しく言ってくるのではなく、何気ない会話の中で教えてくれたんです。「ああ、こういうことを言っているんだな」と、私自身が考えを膨らませていた部分もありますが。プロ野球選手として生きていくためのいろいろなヒントをもらえましたし、本当に多くのことを学ばせてもらいました。
【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)
1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。
◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」
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