小笠原道大が明かす巨人でプレーすることの重圧 「チームが負けると、得点機に凡退した写真が新聞の一面で使われる」 (3ページ目)
── 現役生活のなかで、一番思い出に残っていることは何ですか?
小笠原 一番の思い出は、やはり1997年5月10日に石井丈裕投手から打った"プロ初安打"ですかね。落合(博満)さんが記念のボールをもらってくれて、試合終了後に私に渡してくれたんです。それともうひとつは、2015年9月21日の中日と巨人の試合です。巨人が勝利したのですが、ヒーローインタビューの時間を原(辰徳)監督が私の引退挨拶のためにくださり、両チームの選手が胴上げをしてくれました。もう感謝しかありません。日本ハムで育てていただき、巨人で成長させていただき、中日で締めくくらせていただき、幸せなプロ野球人生でした。
【昭和48年生まれのライバルたち】
── 対戦したなかで印象に残っている投手は?
小笠原 多くの好投手と対戦してきましたが、楽しかったのは斉藤和巳です。192センチの長身から投げ下ろすボールは迫力があって、一級品でした。ストレート、フォーク、カーブ、スライダーとすべてが決め球になる。あと、松坂大輔のスライダーとほんの少しだけ真横に曲がる150キロのカットボールはすごかったです。
── セ・リーグの投手はどうですか?
小笠原 上原浩治は、ベース手前で落ちるフォークをホームランにしたら、次の打席ではボール2個分手前にフォークを落としてきました。フォークを自由自在に操っていましたね。川上憲伸は150キロのストレートに加え、カットボールが絶品でした。あと、三浦大輔、黒木知宏らをはじめ、同い年の"昭和48年会"は好選手が多くて、切磋琢磨してきました。
── 打者はいかがですか。
小笠原 前田智徳さんは現役時代、独特の空気感を持っていました。私が中日の二軍監督時代に取材に来ていただき、「下半身を大事にするいい練習をやっているね」と言われ、自分がやってきたことが間違いではないと確信しました。また "昭和48年会"は、打者でも日米で活躍したイチロー、三冠王を獲った松中信彦、通算404本塁打の中村紀洋など錚々たる顔ぶれで、彼らの活躍は刺激になりました。
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