斎藤佑樹が30歳になって気づいた境地 「『人が喜ぶ顔を見たい』というスタイルで野球をやれていれば...」
プロ8年目の2018年、斎藤佑樹は30歳になった。20代最後のマウンドとなったのは、4月7日の東京ドーム。マリーンズ打線をノーヒットに抑えていたのにもかかわらず、8つの四死球を与えてピンチを招き、勝利投手の権利を手にする直前の4回ツーアウトで交代させられてしまった。
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【失敗を解釈してしまう】
あれは勝つことを難しく考えてしまった試合でした。勝っていい試合だったと思いますし、失敗を恐れずにスイスイ投げていたら何でもなかったはずです。スライダーを真ん中に投げて、真っすぐをピュンと投げて、深く考え過ぎないタイプのピッチングを平然とすればそれでよかったんです。
でも結果がほしくて、打たれたくないからとつい深読みをしてしまい、きわどいところ、きわどいところを突いて、結局は歩かせてしまう。僕にありがちなパターンです。アウトコース低めからボールになるツーシーム、インコースのひざ元からボールになるカットボール......いやいや、そんなところへ投げなくても、真ん中に投げれば勝手に左右へ散らばると考えることができていたはずでした。
頭ではわかっていても、なかなかできないのは、打たれた恐怖心があるからなんでしょうね。ストライクを投げられれば、そこから僕のマインドもいい方へ向かっていくと思うんです。それができない悪循環......勝つことって、難しいんだなと思い知らされる日々でした。
じゃあ、勝つことの何が難しいのかと訊かれると、そこは技術だけが理由じゃないと思うんです。いま思えば"失敗を解釈してしまう"ということが、足かせになっていたんじゃないかと思っています。
僕は甲子園で勝つまでの18年、失敗を失敗と思っていませんでした。失敗も成功するためのひとつのジャンプ台だと思っていましたし、失敗を気にしなかった。深く考えなかったんです。だから、あんまり失敗を覚えていないんでしょうね。
その後の12年は、いろんなことを失敗と感じるようになっていました。おそらく甲子園の優勝があったから、そこに届かないものは全部が失敗だと思うようになったのかもしれません。
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プロフィール
石田雄太 (いしだゆうた)
1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。