川崎憲次郎が語る関根潤三との1年 「笑顔でマウンドに来て、足を踏む...僕らは竹中直人と呼んでました(笑)」 (3ページ目)
「たしかに野村さんの功績は大きいし、その点がクローズアップされがちだけど、その土台をつくったのは間違いなく関根さんです。おそらく自分がすぐに辞めることは自分でもわかっていたはずです。そのうえで、『いい素材の選手を見つけました。そして鍛えました。あとはどうぞご自由にやってください』と手渡すことができるのが関根さんなんです。そして、それは誰にでもできることじゃない。関根さんならではのすごいところなんです」
さらに川崎は続ける。
「そもそも関根さんは若い人が好きなんです。池山(隆寛)さん、広沢(克己/現・広澤克実)さん、ギャオス(内藤)、そして栗山(英樹)さん、みんな関根さんが育てた選手ですから。人材を発掘して、そして育てる。それが関根さんなんです」
【次の世代、次の時代を見据えた監督】
さらに川崎は「関根の功績」を振り返る。
「関根さんって、明るくて優しいイメージがあるじゃないですか。本当はすごく怖い一面もあるみたいで、本当のところは僕もよくわからない(笑)。だけど、その明るさ、優しさがヤクルトのチームカラーをつくったような気がします。若い選手が好きで、僕らみたいに何も実績がない選手を引き立ててくれた。どうしても、《野村チルドレン》が取りざたされるけど、僕やギャオスや栗山さん、そして池山さん、広沢さんは《関根チルドレン》だと言ってもいいと思いますね」
関根がヤクルトを率いた87〜89年までの3年間は、4位、5位、4位という成績に終わった。一度もAクラスに浮上できず、390試合を戦って171勝205敗14分という記録を残した。しかし、その数字以上に多くの人材を残した。くしくも、野村克也が口にしていた「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」を関根もまた体現していたのである。
監督退任後の90年に発売された関根の自著『一勝二敗の勝者論』(佼成出版社)には、「ヤクルトの息子たちへ」と題して、各選手へのメッセージが綴られている。この中には当然、川崎についての言及もある。その一部を引用したい。
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