川崎憲次郎が語る関根潤三との1年 「笑顔でマウンドに来て、足を踏む...僕らは竹中直人と呼んでました(笑)」 (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi

「じつは僕は、昔から沢村栄治さんをすごくリスペクトしているんです。それで関根さんに尋ねたら、アッサリと『あるよ』って(笑)。関根さんが小さい頃、多摩川で練習していたら、たまたまジャイアンツ時代の沢村さんも練習していて、『坊や、野球うまいな。将来、野球選手になれよ』って言われたそうです。それを聞いて、鳥肌が立ちましたよ(笑)」

【人材を発掘して育てる「関根流指導術」】

 冒頭で述べたように、関根と川崎がともに過ごしたのはわずか1年だけのことだ。それでも、緊張とともに過ごしたルーキーイヤー、当時18歳の川崎にとって、その日々は濃密な時間として、今でも強く息づいている。

「マウイキャンプでの練習メニューが出てきたんですけど、100メートル走30本とか、50メートル走100本とか、そんなのばっかですよ。グラウンドの隣に大きな公園みたいな広場があって、めちゃくちゃ長い直線なんです。毎日、よくこんなに走ったなと思います。たまたま高校を出たばかりで免疫がついていたから耐えられたけど、すごいメニューですよ」

 野手はアメリカ・ユマで別メニュー調整を行なっているため、投内連携やフリーバッティング練習はできない。「ただ走る、ただ投げる」、その繰り返しだった。若い頃に徹底的に身体をいじめ抜いたことが、のちに役立つことになった。関根への感謝の思いは強い。

「プロ入りしてすぐに基礎体力をつけることができたこと。そして、1年目に一軍マウンドを数多く経験できたこと。それは本当に大きかったです。僕はプロ2年目に12勝するんですけど、野村監督に起用してもらえたのも、それだけの成績が残せたのも、1年目の体力や経験があったからです。それは関根さんが残してくれたものですから」

 90年に就任した野村は、低迷が続いていたスワローズに黄金時代をもたらすことになる。その一端を担ったのが川崎だった。しかし、その萌芽はすでに関根監督時代に芽生えていたものだったのだ。

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