最多勝、トレード、人的補償、戦力外...藤井秀悟が振り返る波乱のプロ野球人生 「もっと古田さんから勉強しておけばよかった」 (2ページ目)
【はしゃげなかった優勝パレード】
── 当時の日本ハムは梨田昌孝監督のもと、先発投手はダルビッシュ有投手、武田勝投手、リリーフはマイケル中村投手、武田久投手らの布陣でした。チーム打率、本塁打ともリーグ6位のなかでの"奮投"でした。セ・リーグとパ・リーグの野球の違いは?
藤井 当時のパ・リーグは広い球場が多く、DH制があるから投手は簡単に代わらない。そういう意味で、投手が育つ環境なのかなと思います。僕自身はスタミナもあったし、ダルビッシュの負担を減らしたかったので、もっと長いイニングを投げたいと思っていたぐらいでした。
── 2009年シーズン後の巨人移籍の真相は、FAではなく戦力外だったそうですね。2009年のリーグ優勝に貢献し、巨人との日本シリーズでも好投(第5戦で7回無失点)していただけに、不思議に思いました。
藤井 2008年の3勝から2009年は7勝して、チームはリーグ制覇。「残留して来季もチームの力になりたい」と思っていました。しかし日本シリーズ終了の2日後ぐらいに代理人からその話を聞きまして、まさかの思いが強かったです。球団からは「対外的には戦力外よりFAのほうがいいのではないか」と、戦力外であることを伏せてFA権を行使しました。
── 便宜的なFAだったわけですね。
藤井 何が悔しかったかと言えば、「やっぱり藤井はトレードで来た北海道より関東がいいからFAしたんだ」と、ファンの方をガッカリさせてしまったことです。当時、ブログをやっていて、コメントをたくさんいただいて応援されていることを強く感じていましたので、余計にそう思いました。
── 日本ハムでプレーしたのは2年間でしたが、思い出に残っていることは何ですか?
藤井 リーグ優勝にわずかでも貢献できたのはいい思い出でした。お世話になった北海道のみなさんへのあいさつのために優勝パレードとファン感謝デーは出させてもらいましたが、戦力外を通告されていたのではしゃげませんでした。さすがに優勝旅行は辞退させてもらいました(笑)。
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