2017年夏の甲子園準優勝 広陵を支えた背番号18の主将が中村奨成に送るメッセージ「プロ野球が終わった時に周りに誰もいなくなるぞ」 (3ページ目)

  • 元永知宏●文 text by Motonaga Tomohiro

今シーズン限りで現役引退を決断した元広陵の主将・岩本淳太 photo by Motonaga Tomohiro今シーズン限りで現役引退を決断した元広陵の主将・岩本淳太 photo by Motonaga Tomohiroこの記事に関連する写真を見る 大学卒業後はJPアセット証券に入社。社会人野球でプレーし都市対抗の二次予選などにも登板したが、この秋限りでユニフォームを脱ぐことになった。

 11月8日、小雨が降る江戸川球場のマウンドに立ったのは9回表、ツーアウトの場面。スリーボールから3球ストライクを投げ込んで三振。

「淳太、ナイスピッチング!」

 平日昼間の球場にいた観客は50人ほど。最後の登板を笑顔で終えた岩本に選手と観客から拍手が贈られた。華やかなセレモニーはなかったが、岩本にとって大きな区切りとなった。

 現役生活を終えた岩本は、野球人生をこう振り返る。

「高校1年生の秋と、2年の秋に手術をしました。リハビリをして投げられるようになってからも、ヒジには痛みが残りました。痛み止めの注射を打ちながらやっていたんですけど、3年生になる春に『高校野球はあきらめたほうがいい』とドクターに言われてしまいました。先の野球人生を考えて、今はヒジを休ませる時だと思いました」

 そんな時に、中井監督からキャプテン就任の指令が下ったのだ。

「キャプテンとして、下を向いている暇はない。必ず広陵を日本一にする」

 上武大学でのリーグ戦登板はわずか2試合に終わった岩本が社会人野球に進むことできたのは、潜在能力と野球に取り組む姿勢が評価されたからだ。

「JPアセット証券(2019年に日本野球連盟に新規加盟)に入ったのは、野球も仕事も100%やるという方針に惹かれたから。証券会社で働くことについて、はじめは不安しかありませんでした。知識もないし、全然わからない世界ですけど、先々のことを考えたら絶対に覚えたほうがいい。証券外務員になるための試験があり、もちろん受からないと営業はできません。かなり苦戦しましたが(笑)、ようやく合格できた時には、会社の方々に人より迷惑をかけた分、誰よりも早く昇格しようと決意しました」

 証券マンとしてスタートを切った岩本は、社会人になっても故障に悩まされた。1年目の秋にまた手術をすることになったのだ。

「肩とヒジの手術をしました。もちろん、プロ野球選手になりたいという気持ちはずっとありましたが、リハビリをして投げられるようになっても最速が130キロ台で......肩にもヒジにも違和感がずっと残っていました」

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