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松田宣浩が明かす「40歳まで現役」にこだわり続けたワケ「約束を守れてよかった」 (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

 2023年、巨人に移籍した松田はシーズンの大半を二軍で過ごしている。思うような結果は残せなかったが、松田は「やることは一軍だろうと二軍だろうと関係ない」と戦い続けた。

 なぜ、そこまで戦えるのか。プロなのだから、仕事に対して全力で取り組むのは当然という考え方もあるだろう。それでも、誰もが照る日も曇る日も前向きに仕事に向き合えるわけではない。幼稚な質問と自覚しつつも、松田に聞かずにはいられなかった。「なぜ頑張れたのですか?」と。

「人生のなかでひとつ、『これだ』と見つけられたものが野球だったんだと思います。小さな頃からいろんな習い事もしてきましたけど、一度もやめることなく40歳までやりきれた。今の子どもはひとつの道を極めるというより、ふたつ、3つと取り組むことが大事だと思うんですけど、当時の僕にはよかったんじゃないですかね」

 現役を引退した今、松田は家族との時間を謳歌している。

「時間はあるので、親として子どもたちの成長を見てあげたいんです。息子の野球の試合を見に行きますしね。めちゃくちゃ楽しいですよ」

 最後に応援してくれたファンへのメッセージを聞くと、松田はこう答えた。

「ひとりじゃなく、たくさんの方々の応援や支えがあって、野球ができたと思っています。僕には『とにかく40歳まで野球をする』という目標があって、それをクリアできた達成感があります。みなさんも目標を実現するために頑張ってほしいですね」

 別れ際、松田は「息子さんにも頑張ってとお伝えください」と激励してくれた。インタビューを終えた私は、松田の言葉を息子に伝えた。野球をやっている息子は目を輝かせて、「がんばる!」と力強く宣言した。

 きっと、息子だけではない。松田の熱量を受け継ぐ"熱男チルドレン"は、今日も日本中の至るところで泥だらけになってボールを追いかけているはずだ。


松田宣浩(まつだ・のぶひろ)/1983年5月17日、滋賀県出身。小学2年生から野球を始め、中京高2年の時に双子の兄とともに夏の甲子園に出場。亜細亜大を経て、2005年の大学・社会人ドラフトにて希望枠でソフトバンクに入団。08年から三塁手のレギュラーに定着すると、ゴールデングラブ賞8回、ベストナイン1回など、長きにわたり主力としてチームを牽引。侍ジャパンのメンバーにも選出され、第3回、第4回WBCに出場した。22年オフに巨人移籍を発表。23年限りで現役引退を発表した。

著者プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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