岡田彰布の代打交代に真弓明信は「事情を説明しにいかなあかんよ」とコーチに詰め寄った (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

「ただね、あいつらアドバイスしても、聞いてるのか聞いてないのかわからへんからね(笑)。実際、その3年後、山内一弘さんがバッティングコーチで来られた時もそう。練習終わって、『おい、真弓。新庄と亀山って、指導しても聞いてるんか聞いてないんか、全然わからへん。どないなってんねん』って言われたんです。それで僕はこう答えました。『山内さん、それは違いますよ。一生懸命、聞こうとしてやってるんやけど、できないっていうだけですから』って。そしたら『そうかあ? ほな、もうちょっと、ちゃんと教えなあかんな』って言ってました。最近の若い子はそんなもんです(笑)」

 山内は毎日(現・ロッテ)、阪神、広島で19年間プレーし、通算2271安打、396本塁打、1286打点を記録して"打撃の職人"と称された。引退後はロッテ、中日で監督を務め、巨人、阪神、オリックスでコーチを歴任しており、95年の阪神打撃コーチは2度目の就任で当時63歳。徹底的な熱血指導で有名だったが、40歳近く年下の新庄、亀山は暖簾に腕押しだったのか。

「いや、たぶんね、ちゃんと聞いていたと思いますよ。ふたりとも性格はものすごくいいからね。でも、この年、たしかに亀山、新庄って若手が出てきましたけど、数字的に言うと、そこまでの成績じゃない。にぎやかに、若い人がやり始めた、っていうだけで」

 亀山と新庄の「数字」については、岡田の発言と合致する。「何かすごいブレイクしたようになってるけど、別にそこまで数字とか残してないやん」と指摘しているのだが、中村勝広監督は若手に切り替える方針だった。「日本一になった優勝メンバーに取って代わる時代の象徴」として亀山を抜擢。4月25日の中日戦、チャンスで岡田に打席が回ると代打に亀山を起用した。

「それ、自分のことみたいに覚えてる。その時、チーフコーチの石井晶さんに言うたもん。『絶対これ、事情を説明しにいかなあかんよ』って。たしかに岡田は調子が悪かったし、しょうがないのはしょうがないんだけど、長年、タイガースを支えてきた選手。代打を出すにしても、ほかにいろんなところがあるのになって思ったからね。

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