和田豊が振り返る92年のタイガース快進撃 「亀山努という計算外の選手が出てきて、チームに新しい風を吹き込んだ」 (2ページ目)
「ずっと低迷しているなかでも球団はね、口では毎年『優勝する、優勝する』って言ってたわけです。でも選手は『実際これ、大丈夫?』というような感じでした。だからそのオフに関しては、やっと球団も本腰入れて動いてくれたな、と。よし、行けるかもしれないっていう手応えはありました。ただ、それは開幕前のことですけどね」
91年の開幕戦、前年まで1番の和田が2番に入って新加入の高橋が1番。打線の厚みが増すかと思われたが、チームは開幕5連敗。高橋自身も不振で、6試合目には和田が1番に戻った。中軸では新外国人のトーマス・オマリーが3割20本をクリアし、前年28本塁打の八木裕も22本。ベテランの真弓明信が17本、岡田彰布も15本と奮闘したが、チーム得点数はリーグ6位の454だった。
この年、和田は打率.298も、2番を固定できず。結局、チーム打率、得点ともにリーグ6位で補強効果もないに等しかった。投手陣もチーム防御率がリーグ唯一の4点台と抑えが利かず、終わってみれば2年連続の最下位。救いは、経験のある野田浩司、猪俣隆に加え、湯舟敏郎、葛西稔、中込伸に先発で台頭する兆しが見えたことだった。
【決起集会で指揮官に反抗】
明けて92年。キャンプの時からチーム全体に「今年は勝ちたいという意欲がものすごくあり」、「優勝目指してやろうじゃないか、という声がみんなに上がっています」と、和田は開幕直前に答えている。実際にはどうだったのか。
「それはもう、みんな勝ちに飢えていたというか、勝ちたい意欲はあったと思いますよ。でも、今にして振り返ると、キャンプからどうのこうので優勝争いしたんじゃなくて、途中から急に空気が変わったような......。やっぱり、亀山、新庄が出てきたことが大きかったですね」
のちに"亀新フィーバー"とも称されたプロ5年目の外野手・亀山努と、3年目の内野手・新庄剛志。新選手会長=リーダーだった和田も、このふたりの出現がチームの躍進につながったと見ている。またリーダーとしての理想は、最初の10試合での開幕ダッシュと答えているのだが、それが決起集会につながったようだ。
2 / 4