1億円プレーヤーとなった館山昌平「お金は残らなかったけど、いい仲間が増えた」使い方 (2ページ目)
── 200万円増で2年目のシーズンを迎えますが、2004年3月にトミー・ジョン(右ヒジの側副靭帯再建)手術を受けました。
館山 日本は四季がはっきりしているので、どの季節に手術をするかによって、その後の経過が変わってきます。キャッチボールを始めるのが冬だったら、12カ月での復帰は難しい。暖かい時期にトレーニングの強度を上げることができるなら大丈夫かもしれませんが......。だから、12カ月から18カ月はかかると言われています。もちろん、個人差はあります。
── リハビリに苦しむ選手も多いなかで、館山さんはプランどおりに回復していきましたね。
館山 自分でもよくやれたなと思います。リハビリ中はほかの人と絶対にスケジュールが合わないので、友たちがほぼいなくなります(笑)。もともと体が柔らかくて、可動域が広かったことがよかったみたいです。
── 2004年は登板なしに終わり、年俸は1300万円になりました。
館山 でも、一軍にいれば最低年俸(当時は1500万円)はもらえるので、全然気にしてなかったですね。
【実働5年で年俸1億円の大台に】
── 2005年に戦列復帰。10勝6敗、防御率3.95という成績を残し、年俸は3700万円に上がりました。2006年は44試合に登板して、2勝5敗5セーブ、16ホールド、防御率3.95。2007年は45試合登板で、3勝5敗5セーブ、5ホールド、防御率3.17。
館山 年俸は4800万円、6700万円、1億円と上がっていきました。新聞で報道された金額と大きな差はありません。スワローズの場合、プラス、マイナス10パーセントくらいじゃないでしょうか。球団によっては発表された数字は違うことがあるようですけど。
── 2008年は24試合登板、12勝3敗、防御率2.99。この年、初めてオールスターゲーム出場を果たしました。トミー・ジョン手術で1年以上のブランクがありながら、館山さんはなぜ短期間で1億円プレーヤーになれたのでしょうか。スワローズでバッテリーを組んだこともある米野智人さんはこう証言しています。「館山さんは、ほかの選手とはまったく意識が違いました。寮に酸素カプセルを持ち込んだのは館山さんが初めてじゃないですか」と。どうような経緯で酸素カプセルを購入することになったのですか。
館山 プロ1年目は、疲労回復のために酸素カプセルのある施設まで通っていたんですが、往復の時間がかかりすぎるので、400万円くらいの酸素カプセルを自分で買って、寮の自分の部屋に置きました。寮の部屋は八畳くらいしかなくて、ゼミダブルのベッドとカプセルを置いたらスペースはなくなります。どれだけ効果があるかはわかりません。ただ、自分の妻やママ友がカプセルに入ったら母乳がよく出ると言っていたので、いいことがあるのかと。引退するまでに2台買いました。
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