「センセーショナルで得体の知れないチーム」プリンスホテルが社会人屈指の強豪になるまで 最後の監督となった足立修が明かす (4ページ目)
「室内練習場でティーバッティングをやったり、ウエイト場でトレーニングしたり、その姿は迫力十分で、人を寄せつけないようなオーラが出ていましたから。ティーでボールを上げれば『もうちょっとこっち、もうちょっとこっち』っていう。投げ手だってビビりますよ。でも、その人たちと同じようにやろう、やらないといけないと思ってやりました」
猛練習の成果はあった。足立は87年、野手転向1年目で三塁のレギュラーを獲得。都市対抗の予選でも、5年連続の本大会出場に貢献した。ところが、大会に向けて、東芝府中の初芝清(元ロッテ)、スリーボンドの四ケ所重喜(愛知工業大)が補強され、いずれかが三塁で出場。準決勝までの4試合で、足立の出番は代打の1打席だけだった。
しかも翌88年、都市対抗の予選では足立が三塁を守ったが、本大会出場を決めると再び初芝、四ケ所が補強された。1回戦で敗退したこの大会、足立はベンチに控えたままで終わった。
「予選では私が三塁手で、死にものぐるいで東京都代表の座を獲ったのに、2年連続、補強選手にコロッと代えられた。そりゃあ、頭にきますよ。私のイメージはいつも初芝。東芝府中で中軸打っている選手で、プロに行く選手。だから仕方ないなんて思いませんよ。もう、悔しくて悔しくてね。『予選で勝ったのオレやで』って言いたくなりました」
(=敬称略)
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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