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原辰徳の元チームメイト・村中秀人はプリンスホテル入団で驚愕「ここはプロ野球の養成所か...」 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Nikkan sports

 赤坂プリンスホテルの一室で監督の稲葉誠治、助監督の石山建一と面会。話を聞くだけのつもりが、本社から届いた書類一式に捺印を求められ、捺した瞬間に入社が決まっていた。創立以前からチームづくりに携わり、実質、指揮を執る石山からは、「レベルが高い選手が多いけれども、基本的には十分、個性を生かして伸ばしていくよ」と言われた。

「入った途端、個性どころじゃなかったです。全体練習はパッとアップをやって終わりで、自分の練習が終わったら帰っちゃう。たとえば、初代キャプテンの堀場さんも、バッティング練習やったら『はい、どうも、失礼しまーす』って挨拶して、ユニフォーム脱ぎ捨てて帰る。あの頃、練習着も全部クリーニングだったんですけど、『あれ? ノンプロってこんなもんかな』と思って」

 選手のレベルの高さと充実の設備を見て、「やっぱり次元が違う......。ここはプロ野球の養成所か?」と感じた村中だったが、練習は東海大時代に比べてきつくなかった。それでも、前年の80年、創部2年目にして都市対抗に初出場したチームなのだ。入社1年目の新人なりに、これからやるべきことを考えた。

「辰徳が言っていたとおりだなって。ここでは自分でしっかり意識を持ってやらないと、選手としてはすぐ終わっちゃう。逆に、意識を持った選手は個人でガンガン練習できるから、そのぶん全体練習は緩いんだなと、僕なりに考え直しました。ただ、チームとしてどうなのかなと。たしかに個性を生かしていたとは思いますが、すごく我が強い人が多くて......」

【スター揃いのチームが都市対抗を逃す理由】

 ある日の練習中、先に外野ノックを終えた村中が、内野ノックを見ていた時。遊撃の中屋の動きがよく、もともとうまいと思っていたから、「中屋さん、ナイスプレー!」と声を張り上げた。すると「そんなこと言う必要ねえよ!」と返された。驚き怯んで謝ると、「そんなの当たり前なんだから」と言われてしまった。中屋は二代目の主将でもあり、何も言い返せなかった。

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