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プリンスホテルからプロ入りした橋本武広は根本陸夫に「潰れるか、伸びるか」二択を迫られた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 野球に対して貪欲になった橋本は、新人ながら都市対抗では予選からリリーフで活躍し、東京第二代表での本大会出場に貢献する。大会では1回戦のIBM野洲戦、4点リードの6回途中から二番手で登板。打ち込まれて3失点も、味方打線が奮起してチームは9対7で勝利。2回戦の本田技研戦では7回から2イニングを零封し、チームは延長11回を戦って6対5で勝利した。

 つづく準々決勝のNTT信越戦で橋本の登板はなかったが、チームは6対5とまたも接戦を制し、創部以来初の準決勝に進出。迎えた東芝戦、橋本は5対5と同点の4回から二番手で登板。ロングリリーフで4イニングをゼロに抑えてきた7回裏、味方打線が2点を勝ち越した。

「それで8回も抑えて、あと1イニング抑えれば勝つ予定でしたけど、9回、終わらなかったですよ。打たれて、3点とられて逆転されて。最後、ベテランの鈴木さんに代わったんです。その年、20年連続都市対抗出場という。当時37歳の、すごい方ですよ」

 9回の橋本は4安打され、2本のタイムリーを浴びて3失点。チームの決勝進出はならなかった。最後に代わった鈴木政明(岡山・勝山高)は、中本と同じく大昭和製紙、ヤマハ発動機を経て84年、プリンスに移籍。中本が翌年からコーチに就任した一方、鈴木はおもに抑えを務めながら投手陣のまとめ役となり、生きた教材となり、20年連続の偉業を達成して現役を引退した。

「中本さん、鈴木さん、強いチームで都市対抗優勝も経験されている方たち。社会人野球をよく知っているベテランのふたりが移籍して来られた。それで僕たち、いろんなことを教えていただいたから、プリンスは強くなったと思うんですよ」

【史上最低のチームが都市対抗初制覇】

 都市対抗には83年から5年連続で出場し、86年にベスト8、87年にベスト4。まさに着実に強くなっていたのだが、88年は1回戦の大阪ガス戦、延長12回を戦って3対4で敗退。エースの石井丈裕(法政大)、3番の小川博文(拓大紅陵高)、4番の中島輝士(柳川高)と、同年のソウル五輪に出場する全日本メンバー3選手を擁しながら勝てなかった。

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